11.05.2018

トラウマ反応「心が壊れる」感覚

わたしは、親からの暴言や侮辱的なことを言われた時に、体が強張り、胸が締め付けられるような感覚になっていました。顔が硬直して思考停止するのが自分でもわかりました。背中が強張り、全身が固まりました。こうゆう感覚を意識しだしたのが、覚えている限りでは小学校の中学年、高学年ぐらいからあったように思います。

これを言葉で表そうとすると「心が壊れる」です。

これは俗にいう「トラウマ反応」です。


言葉にできたのは、つい数年前でした。
心が壊れそう、壊れている。そんな風に感じました。




これまでの人生でも、普通の人が体験するようなショックな出来事もありました。恋人との別れ、仕事での失敗、ペットとの死別。そうゆうときも心が塞がるような、辛く苦しい瞬間はあったのですが、毒親からの暴言で受けるダメージは、心が大型のブルドーザーで一気にすべて踏み潰されるような感覚でした。

心が壊れる。

または「心がつぶれた」でしょうか。傷ついた、とかではなくて「潰された。壊れた」がこの感覚を言葉にするにはピッタリくるのです。

一方で、この感覚を自分で名付けることができて「今、心が壊れそうな状態になっている」と自分自身で気づけるようになった頃から、少しずつ癒しが進んでいるような気がします。

そんな時は、その感情を無視せずに寄り添うようにしています。
会社から家路に戻る途中で突然この感覚が蘇ってきたことも何度もありました。家に帰ってお風呂で泣いたり、ベッドでうつ伏せになってしばらくしていれば、また元気になりました。



自分で自分を癒そうとする体の動き


なんとなくですが、こういった感覚になったときに、決して無視して押さえつけようとせずに寄り添うことで、自分で自分を癒しているのではないか?と思うのです。

自分で自分を癒そうとして、体の奥で凍りついた感情やエネルギーを放出しているのではないかと思います。

なので、無視をしたり、感情に蓋をしてしまうと、せっかくの体のSOSを聞かないことになってしまいます。

この感覚をちゃんと意識的にホールドできていなかった子供時代と、成人してからの15年ぐらいは、感情を隠そうとしたり、闇雲に何かに夢中になったり、何かに依存したりすることで、きちんと向き合えてなかったのでは?と今になってはそう思います。

「心が壊れる」というのは、わたしが自分の気持ちがどうしようもないときに出てくる感情に対して名付けたものですが、人が変わればまた違う表現があるかもしれません。いずれにしても、自分の気持ちに寄り添うところから癒しははじまるのだとおもっています。


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