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12.08.2019

家族という名の足枷

このブログでは、毒親、虐待などについての知識、および治療法やその他心理学などをテーマに、今尚苦しんでいる方々のために少しでも力になりたいと思い続けています。今日は、少し最近思うことについて、日記風ではありますが私自身の考えを少し書いてみたいと思います。


8.12.2019

毒親 夏休みを憂鬱な気分にさせない方法

社会人になると長期の夏休みは取りにくくなりますから、学生の1ヶ月や2ヶ月の夏休みが羨ましいと思ってしまいます。しかし、自分が学生だった時を振り返ると、楽しいばかりではなかったような思い出もあり、長期休暇になるとやってくる毒親持ちならではの憂鬱について、自分の経験を振り返って見ようと思います。

 社会人になれば長期の休みはないとはいえ、ある程度の期間夏季休暇を取得することができる会社は多いと思います。Ralfの勤務した会社も夏季休暇は設けられており、夏の間に数日自由に取得して良いということになっていました。しかし、お盆時期に夏休みを取得しても実家に帰ることはなく、別の場所に旅行にでかけるか都会で過ごしたりしています。

仕事があるといって帰省しない

社会人であれば一番良いのは仕事で帰省できないという理由が一番効きます。家族がいて孫の顔を見せに行くという目的がある場合は難しいのかもしれませんが(すみません、経験がないのでわかりません・・・)どうにかこうにか理由をつけてお盆中にも仕事があるから帰省はむずかしいと伝えましょう。

帰省しても一泊が限界

なぜか日本はお盆には帰省しないといけないという風潮があるので、どんなに仕事があるといって断っても親戚の関係などで帰省は免れないという場合もあるかもしれません。Ralfも祖父の初盆などあまりないイベントにはどうしても帰らないといけないことがあり、憂鬱な気持ちになりました。親と顔を合わせると想像以上の体力を浪費してしまうので、帰省しても1泊が限界。どうしても帰省しなくてはいけない場合でも、長い間の滞在は避けたほうが良いです。


学生の時は社会人よりも帰省の回数が多かったし、一度の帰省で比較的長く滞在していましたが、なんとか早めに東京に帰れるようにいつもうまい理由を探していたように思います。Ralfが学生のときにやっていた方法をいくつかご紹介します。

アルバイトを入れまくる

東京でやっているアルバイトを入れまくって、あんまり実家にはいられないという状況をつくっていました。お盆は忙しいとか人がいない、のようなことを言ってバイトがあるから早く帰るという風にしていました。バイトぐらいいつでも休めるのでは?と色々小言も言われましたが、つき通しました。

図書館に入り浸る

実家に帰っても、家でのんびりしていると言われたくないことを言われたり、毒親のペースに巻き込まれてしまうので、地元の友達と会うか、それでも用事がないときは近所の図書館に入り浸るのも良いと思います。クーラーも効いていて快適です。

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私は、大学生の頃、帰省した際に毒親からの暴言で心が深く傷ついて家から飛び出したことがあります。気持ちがグラグラになってそのままどんどん歩いて、子供の頃に遊んでいた公園を通り抜け、さらに遠くの公園までいきました。誰かに話を聞いてもらいたくて、どこかの占いの番号に電話しました。占い師の人は声だけで判断すると結構ご年配のおばあちゃんのような人で、話を聞いてくれました。占いがしたかったわけではなく、ただ誰かに話を聞いてもらいたかったのです。当時大学生のわたしにとって電話占いの金額はなかなか痛い出費でしたが、それでもあのときは他の方法が見つからないぐらい追い込まれていました。真夏の炎天下で、公園の端っこにあるトイレの裏で、誰にも見られないように大泣きしながら電話をしたのを覚えています。

今、思い出して見て、あのとき他にだれか頼りになる人がなかったのかな?と思っても、思いつきません。当時はソーシャルメディアもなく、便利なサービスも少なかったのです。今では、心が傷ついたときに助けてくれるひとは家族以外にもたくさんいるということを忘れないでください。

せっかくの夏休みなのに毒親に台無しにされたくはありません。しかしお盆は親と顔を合わせる機会も多いので、ダメージを少なくするように工夫して、いい夏を過ごしてください。





5.02.2019

決裂が育てるもの 〜万引き家族〜

見たいと思っていた万引き家族をようやく見ることができました。是枝監督の作品は「誰もしらない」「そして父になる」とどの作品も大好きで、家族の形と絆がテーマです。よくありがちな家族っていいものだよねというシンプルなストーリーではなく、かといって血が繋がってなくても家族になれるというような陳腐なものでもなく、考えさせれられる映画です。
PexelsによるPixabayからの画像

※注意 映画の内容や結末についての記述があります。

虐待する親でも育てる権利はあるのか

稼業は万引きという犯罪に手を染めている一方で、家族のらしい心のあるやりとりと貧乏でも安心できる家庭。物語の前半はそのような家族のあたたかみが描かれますが、次第にこの家族は本当の家族ではないということが徐々にわかってきます。そしてこの家で暮らす子供や少女は虐待児や親との間で問題がある子供たちというのがわかります。ストーリーが進むにつて果たしてこの子供たちは本当の親の元で暮らすことが幸せなのか?という疑問を見ている側は抱きます。

決別することで育つ子供

映画を見進めると、このちぐはぐな家族に感情移入をしてしまいます。しかし、万引きは犯罪なのでいつかはバレ、警察に突き出されます。そして家族はバラバラになってしまいます。その時見ているひとはこの家族がバラバラになっていくのがいやだという気持ちになるのです。世間は無情だ、常識や法律で一辺倒にジャッジするのではなく実態をみてほしい、そんな風に思うほどこの家族を守りたいという気持ちになります。物語は家族が壊れたところで終わってしまいます。この結末が何を意味するのかわからなく取り残されたような気持ちになったので、もう一度是枝監督のコメントを読み返しました。

特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。

そして、ラストシーンについては決別で育つ子供もいるというコメントもされていました。確かに映画を見ていると家族がバラバラになってしまうことに悲劇を感じます。しかし、万引き稼業をずっと続けることはできません。少年は家族への想いもありながらも学校に通い始め、家族と離れて強くなっていくのです。

親と離れることで育つもの、強くなるもの

親に苦しめられた私はある時期事あるごとに「あんな親でなければ自分はもっと」「あんな風に育ったからだ」と親と自分の過去を恨んでいました。抵抗のフェーズがすぎ、様々な方法で癒しを進めると、ふとしたときに「あの経験があったからこそ」という考えが浮かんでくるようになったのです。わたしが今やっていること、できていること、それらは「親から離れたいために仕方なくやったこと」と恨むものではなく「あの環境だったからこそ得た素晴らしい体験」という気持ちになったです。(癒しのレベルがかなり進まないと自然に湧いてこないので、もし恨みが強い人はその恨みをしっかりと向き合うことが先のフェーズです)

実親じゃなくても育ててくれる人を大事に

さて、今回の記事は僭越ながらRalfの個人的なメッセージで締めくくりたいと思います。世の中で大事なことは実親ではなくてもたくさんの人たちが教えてくれます。それは分かりやすく先生とか講師などの肩書きがない人でも、年上でなくとも、自分の存在を軽んじずひとりの人間として扱ってくれるひとはたくさんいます。そのような人たちを大事にしてください。実親が愛情たっぷりに子供を育て、子供も親を大事にするという家族の理想の形に縛られる必要はありません。そのようなもはメディアのつくった虚像です。




3.26.2019

毒親といじめの後遺症が似ている

酷い毒親の悪影響を受けて育つと、大人になってから対人関係において苦労することが多くなる傾向にあるのですが、今日このサイトを見ていて、いじめ被害の後遺症と酷似しているなと思いました。

2.27.2019

人間関係の距離感を掴めないという悩み

悩みのほとんどは人間関係です。

私たちを幸せな気持ちにさせるのも、困った気持ちにさせるのも、怒らせるのも、慈しむのも、大体において対象は人間です。では、そのような厄介な人間関係をすべて絶ってしまえば問題は解決するかというと、それはそれで別の問題が現れます。我々人間は、たっだひとりだけで生きていくには弱すぎるし、かといって、常時徒党を組む必要もないほど強いのです。


2.01.2019

アダルトチルドレンのための自助グループ リンク集

代表的なアダルトチルドレンのための自助グループの団体のリンク集です。
毒親の問題で、精神的に助けが必要な方も参考にしてください。

自助グループについてはこちらから↓↓↓↓
アダルトチルドレン 自助グループは同じ苦しみを抱えるコミュニティ


自助グループ一覧

ACA アダルト・チルドレン・アノニマス
子供時代を、アルコール依存症の親に育てられた、あるいはその他の機能不全のある家庭で過ごした成人(アダルトチルドレン)の自助グループ。
全国多くの場所で開催されているようです。

ACODA (Adult Children of Dysfunctional Families Anonymous)
2001年から運営している自助グループ。
こちらも全国多くの場所で開催されているようです。サイトに情報が少ないので、わからないことがある場合はお問い合わせから問い合わせた方がよさそうです。

Al-Anon アラノン家族グループ
アルコール依存症の問題を持つ人の家族や友人の自助グループ。
こちらは結構有名な自助グループで、規模も大きいと思います。こちらも全国の多くの場所で開催されているようです。

JUST 日本トラウマ・サイバーズユニオン
NPO法人のJUSTの開催するグループワーク・ミーティング。こちらは自助グループとは呼ばずにグループワーク・ミーティングとしています。JUSTは、いじめや児童虐待、言葉による暴力、家族関係、人言関係のさまざまな要因によるトラウマで生きづらさを感じているひとたちのために設立されました。
グループは、かなり細かくたくさんあるようなので、自分と似たような境遇のひとたちとつながることも出来るかもしれません。グループ一覧

Emotions Anonymous of Japan
感情・情緒的な問題からの回復をともに目指して毎週のミーティングに出席しているひとの集まりとのこと。全国の色々な場所で開催されいているようです。

レジエンス
DVや虐待、モラルハラスメント、その他様々な原因による心の傷つきやトラウマについて情報を集める活動をしているNPO法人。
ピアサポートグループのページに自助グループの情報が記載されいています。注 : 500円程度の有料で参加するミーティングもあります。

ACOA なごやみなと
名古屋で活動するAC本人のための自助グループ。
名古屋が遠い方はスカイプでも参加出来るようです。



上記は2019年2月1日時点での情報です。
サイト管理者がすべての自助グループに参加したわけではありませんので、実際に参加される場合は各自の判断と責任においてお願いいたします。










1.19.2019

アダルトチルドレン 自助グループは同じ苦しみを抱えるコミュニティ

自助グループの存在を知らない方が多いようです。

自助グループとは、共通の障害や問題、悩みを抱えた人たちが自主的につながり、お互いの問題をシェアする自発的なグループです。この運営は、専門家(病院、精神科医、行政など)に委ねることなく、当事者たちがあくまで自発的に運営しているというのが特徴です。

元々はアルコール依存症を抱えた人たちのコミュニティからはじまりました。その後、薬物依存症、ギャンブル依存症、買い物依存症など各種依存症から、摂食障害、アダルトチルドレンなど、同じ問題を持つ人たちが集まり、その苦しみをシェアすることで互いに支え合うようになりました。

実際の自助グループリンク集はこちら↓↓↓
アダルトチルドレンのための自助グループリンク集


11.18.2018

週刊女性PRIMEより「超過干渉の母、うつ病に苦しむ主婦がひきこもりに」

週刊女性PRIMEより。
超過干渉の母親に奪われた多くの時間があるけれど、少しずつ自分の足で歩いていっている力強さが感じられます。


微細脳障害とは、知能がほぼ正常範囲で、視力、聴力、運動機能に大きな障害もなく、行動上あるいは学習の上で多様な症状を見せる群である。 Wikipedia より抜粋

毒親の対処法 まず誰かに話してみる

親との関係がしんどい、重い。こんなことを感じているのは自分だけなのだろうか?毒親持ちの人の多くは「誰にも言えない苦しみ」と「誰にも理解してもらえない苦しみ」に苛まれていると思います。毒親への対処法として、まず、自分が置かれている状況と、自分の気持ちを我慢せずに誰かに話すことが第一歩です。

11.11.2018

毒親からの過干渉をいかに防ぐか

過干渉をする毒親の性格を変えることはできません。しかし、過干渉をできるだけさせず、口を出す余地を極端に減らすことは可能です。特に、子供がすでに成人をしていて経済的にも親から独立している場合は「しつけ」という言い訳も聞きません。以下、毒親からの過干渉を防ぐためのコツとして参考になれば幸いです。

モラルハラスメントとは

モラルハラスメントとは、被害者に外傷が残る、肉体的で直接的な暴力とは違い、モラルハラスメントは言葉や態度などで嫌がらせをすることです。精神的暴力、心理的暴力とも言われます。


モラルハラスメントは物理的に傷をつけるわけではないので、周りから見ても気がつきにくく事態が悪化することがあるので注意が必要です。また、モラルハラスメントという言葉は比較的最近になって日本では認知されたので、加害者も被害者もこれがハラスメント行為だということに気がつかず、長期間に渡ってハラスメントが行われることがあり、大変深刻なケースに発展することも多くあります。

毒親からのモラルハラスメント

モラルハラスメントは、夫婦間やオフィスでも行われることが多いものです。ここでは、毒親と子供との関係性において起きやすいモラルハラスメントについて記載しています。

子供の失敗を責め続ける

子供は失敗するものです。失敗をし学び、そこから成長をするのであって、親はそれを見守りながらも時には叱ることももちろん必要です。しかし、子供の失敗をいつまでもネチネチと繰り返し、なじることで、子供は健全な成長の機会を失います。失敗をすることが恐ろしくなり、子供が将来に向けてのチャレンジができなくなります。常に毒親の顔色ばかりを伺って行動するようになり、子供の「自分で判断する能力」「新しいことにチャレンジする精神」を奪います。

舌打ちをしたり、無視をしたりする

毒親が子供に対して舌打ちをしたり、無視をするのはモラルハラスメントになります。小さな子供にとって親という存在は自身の生存がかかった存在であり、その存在から無視をされ続けると、基本的な信頼という情緒の発育に悪影響があります。また、舌打ちなど子供に恐怖や不安感を与えるような行動もモラルハラスメントになります。

イライラの八つ当たりをする

イライラすることは誰にでもあります。そして、ついうっかり八つ当たりをしてしまったということは誰にでもあることです。しかし、それが常態化し、親よりも弱い立場である子供に対して、毒親自身のイライラのはけ口にするのはモラルハラスメントです。幼少期からこのような八つ当たりが続くと、子供は八つ当たりをされることに慣れてしまい、自分自身の尊厳を傷つけられます。

他人のいるところでバカにする

子供であってもひとりの人間であり、子供同士での社会コミュニティは存在しますし、子供なりに社会と関わっています。親が子供をひとりの人間として尊重せず、他人のいる前で(子供の友達、先生、親戚、近所の人なども含みます)バカにするような言動や行動は、毒親に悪意があろうがなかろうがモラルハラスメントになります。

物に当たる

直接的に暴力を振るわなくても、物を破壊したり投げたりすることは、子供に対して脅したり威嚇しているのと同じです。これは当然モラルハラスメントです。家庭内にこのような暴力が起こると、子供は安全地帯を無くし、情緒に重大な悪影響を及ぼします。

責任転嫁し、子供のせいにする

子供自身の失敗や悪さによって引き起こされたことではなく、毒親自身が思いどおりに行かなかったフラストレーションを子供のせいにする言動「お前がのろのろしているから時間に遅れた」や、まったく子供に関係ないこと「今日仕事でうまくいかなかったのは、昨夜お前が自分をイライラさせたからだ」などといって責任転嫁するのは重大なモラルハラスメントです。

自分の非を認めない

上記同様、毒親は自分自身のことを冷静に振り返り、必要なら反省するということができないので、自分自身の非を正しく認め、次の成長につなげていくという健全なサイクルが持てないでいます。そして、子供に対してもまったく非を認めず、場合によっては子供に責任転嫁するので、子供に敗北感や無力感を植えつけます。

子供のプライバシーを侵す

子供は親の所有物ではありません。よって、まだ成人していない子供であっても基本的なプライバシーは守られるべきであり、子供の持ち物や日記、私信の手紙を断りなく見る、部屋に無断で入るというのは望ましい行動ではありません。

しかし、親は当然、子供の安全を守る義務があるので、子供に良くない付き合いがあるような疑惑があったり、安全面で心配なことがあるのでれば、まず勝手に携帯電話や持ち物を探る前に、子供との会話を適切に持つようにしたほうがいいです。子供の携帯電話を断りなく閲覧したり、部屋を探るのは状況が緊急の時に限られた親の義務であり、日常的に行うべきではありません。

子供に罪悪感を抱かせるよう仕向ける

子供に罪悪感を与えて、自分の言うことを聞かせようとするのはマインドコントロールであり、モラルハラスメントです。親と子供という、絶対的な上下の関係性を利用し、親の幸せを決めるのは子供であると、暗にすり込みます。すると、子供は親自身がイライラしているのは自分のせいだと思うようになり、すべて親の機嫌を取るような言動や行動となります。毒親はこれを無意識に行います。当然、重大なモラルハラスメントです。

子供に無関心

子供の健康状態、発育状態など、子供への無関心はモラルハラスメントです。もし、基本的な衣食住にも無関心であればそれは育児放棄(ネグレクト)になり、重大な虐待になります。

子供に嘘をつき混乱させる

親が抱えているすべてのことを子供に話す必要は当然なく、状況に応じて子供にどこまでの話をするかは親それぞれの判断に任されます。しかし、子供との信頼関係を揺るがすような嘘をつき混乱させることが常態化しているのであればモラルハラスメントです。子供と遊びに行く約束をしていたのに、親の勝手な都合でキャンセルし悪びれず、子供を落胆させつづけるのもこれにあたります。子供は「嘘をつかれた」という気持ちになります。アルコール依存症の毒親では、このような状況がよく見られます。

子供に対して人権を否定するような言動をする

お前なんか産まなければよかった、お前は堕ろそうと思っていたなど、子供の存在そのものを脅かし否定するような言動はモラルハラスメントですし、虐待にもなります。それ以外に、お前は何をやってもダメた、お前は何もできない、など極論を用いて相手の人格を全否定するような言動もモラルハラスメントになります。

他者や他の兄弟との比較、差別をする

子供と他者を比較して、評価をし続けるのは子供の健全な心の成長に置いて、大きな影響を与えます。また、比較することで常に人間関係には優越があるものだという認識をせざるをえなくなり、条件付きで自分の尊厳を保つような歪みを与えます。

モラルハラスメントの恐ろしさは、被害者が気づかないこと

上記のようなモラルハラスメントは、明確な線引きはないので判断が難しいことがあるかもしれませんが、子供が親の顔色を常に伺っているような関係は、モラルハラスメントの可能性が高いと思います。

子供が親の顔色を常にうかがってビクビクしだすと、それはすでにマインドコントロールされている状態で、冷静に考えることが難しくなります。そして、さらに外傷がないので、学校や地域のコミュニティでも発見しづらくなります。

もし、自分の親からモラルハラスメントを受けているのではないか?と気づいている人、過去のモラルハラスメントで大人になっても生きづらいを感じている人は、適切なエスケープと癒しが必要です。






11.08.2018

「親なんだから仕方ない」という言葉に惑わされてはいけない

毒親を持つ人々は、何度となく傷つき、心も体もボロボロになり、その時は「早く親なんて死んでしまえばいい」と本気で思うぐらいの気持ちになります。一方で「親なんだから仕方ない」「親も傷ついている」「親も完璧な人間ではない」そのように言われたり、思ったりすることはないでしょうか。




葛藤する心

毒親をもつ人は、そうやって親に死んで欲しいと本気で思うほどの怒りとともにありながら、同時に、親の暴言や暴力を「親なんだから仕方ない」という言葉で許さざるを得ない状況にあるのです。

ふたつの相反する感情が、たったひとつの心にあるのです。
そうすると、本当の自分がわからなくなります。多くの毒親もちは、他者とのコミュニケーションにおいて問題を発症しやすくなります。拒絶と許しを同時に求められる環境にずっといるのですから。

「親なんだから仕方ない」という言葉を鵜呑みにしてはいけません。



相手が親だろうと、他人だろうと、自分を傷つける人と一緒にいる必要はありません。自分を傷つける相手に、自分の意見を毅然として言うのは当然です。


毒親の問題は、親と子という絶対的な上下のヒエラルキーにおいて行われる肉体的、精神的な暴力なので、相手に毅然と立ち向かうという行動がなかなかできないものです。ですから、まずはとにかく一緒にいないようにする。とにかく、逃げに逃げてください。まずはそこからです。






11.05.2018

毒親とは

毒親という言葉は、2001年に翻訳出版されたアメリカのセラピスト、スーザン・フォワードによって書かれた「毒になる親」という本で出て来た言葉です。原版では TOXIC PARENTSというタイトル、その名の通り毒になる親という意味です。


親というものは、当たり前ですが当然人間です。完璧な人間がこの地球上には存在しないように、完璧な親というのも当然存在しません。親だって間違ったことを言ってしまったり、冷静さを欠いた行動や言動をすることもあります。

スーザン・フォワードの著書からの言葉を拝借すると、

子供に対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親。

という風に書かれています。

自己愛的な親からの悪影響

ほとんどのケースで親の自己愛が子供に大きな悪影響を与えます。たとえどんな親でも「つねに子供のことを考え、子供の幸せを願っている」というのがそれまでの「親」というものであり、たとえその表現方法に問題があっても「親は子供のことを考えている」「いかなることがあっても子は親に感謝すべきである」という社会通念が根強くあり、毒親の問題が明るみになるのを拒んでいました。

しかし、自己愛的な親というのは「子供のため」という仮面を被っている「自分のために子供を利用する親」であり、しばしば子供はそんな自己愛的な親の犠牲になります。そして、子供が大人になり、成人しても、子供時代に植えつけられた「親の犠牲」は消えていくことはありません。むしろ対人関係、特に近しい恋人や配偶者との間で問題が起こり、苦しめます。

経済的に自立をしても毒親の影響は消えない

「そんなに親が嫌なら、自立すればいいじゃないか」
そのような意見もあるでしょうし、それは一方では真実とも言えます。しかし、毒親というのは、子供が親の庇護が必要な幼少期から始まり、性格が形成され、社会性を学ぶ子供から青春時代という多感な時期に親の自己愛に振り回され、本来ならしっかりと成長するはずの自立心や社会的コミュニケーション力、そして最も大事な「自尊心」を十分に育てることができずに成人し、そのまま社会に出ていくのです。

健康的な家庭でも、子は反抗期を迎えるとおのずと親を疎ましく思うようになり、親との喧嘩や意見の食い違いが出ます。しかしこれは成長にとって大事な側面であり、必要なことです。

どこからどこまでが毒親、という明確な基準が医学的にあるわけではありませんが、以下の項目にあてはまることが多い場合は、親の悪影響を少なからず受けている可能性があります。


  • あなたの親は、あなたの人間としての価値を否定するようなことを言ったり、侮辱の言葉を使ったり、罵ったりしたか。
  • あなたの親は、あなたを批判するような言動をよくしたか。
  • あなたの親は、あなたを叱るとき体罰をあたえたか。物を使ったか。
  • あなたの親は、しょっちゅう酒に酔ったり薬物を使っていて、それをあなた自身は混乱したり、嫌な気持ちや恐怖を感じていたか。
  • あなたの親は、精神状態が不安定で、いつもあなたを一人にしていたか。
  • あなたは親を怖がっていることが多かったか。
  • あなたは親に腹を立ててもかまわなかったか、それとも、親に対してそのような感情を表現することは怖くてできなかったか。
  • あなたの親は、あなたを威圧したり、罪悪感を感じさせたりして、自分の思い通りに行動させようとしたか。
  • 親と離れて暮らしている場合、これから親と会うことになっているとき、あるいは一緒に過ごした後で肉体的、精神的に甚だしい反応が出るか。
  • あなたは親の考えに反対するのに勇気がいるか。
  • あなたの親は、金銭的なことを利用して、自分の思い通りに行動させようとするか。
  • あなたの親は、あなたに対して秘密を守らなくてはいけないようなことをしたことがあるか。何らかの性的な行為をしたことがあるか。
  • あなたの親は、いろいろな問題を抱えており、そのためにあなたは世話をしなければならなかったか。
  • あなたの親は、あなたが大人になっても子供のように扱うか。
  • あなたが人生において決定する多くのことは、親がそれをどう思うだろうかということが基本になっているか。
  • 親がどうゆう気分でいるかあなたの責任だと思うか。もし親が不幸だとしたら、それはあなたのせいだと思うか。
  • 親に幸福感を感じさせるのはあなたの仕事だと思うか。

(スーザン・フォワード 毒になる親 から抜粋)






11.04.2018

虐待で傷ついた心のケアは何歳からでも大丈夫

精神的虐待の心のトラウマは、大人になってから蘇り、

生きづらさを感じることがあります。

今までうっすらと感じていた「すぐ不安になる自分」「時々感情がコントロールできない自分」などの「生きづらさ」で苦しんでいたのは心理虐待の影響だったのかと気づくのです。





気付いた時が、ようやく自分を癒してあげるベストタイミングです。


もしその気付いた時が、30歳を超えていた、40歳を超えていた、年齢は関係ありません。また、この問題は加害者である親がたとえすでに他界していたとしても癒されていない心は、生きづらさのまま取り残されてしまっています。

人生の多くの部分を親にコントロールされていた。
もっと早く気付いていれば・・・


そんな風に思ってしまうかもしれません。どうして気づかなかったのかという自分を責める気持ち、こんなに苦しめた親への恨みと憎悪、そのような感情が出て来るかもしれません。でもいいのです。そんな感情も感じていいのです。

そして、実はこの気づきがまったくないまま一生を終えてしまう人も、たくさんいるのです。

心のケアは何歳からでも遅くありません。

わたしたちは今、ちゃんと気づけているのです。年齢は関係ありません。
私たちの心にある芯が、ちゃんと「自由になりたい」「自分の人生を生きたい」とそのポジティブなパワーを輝かせているのです。

もっと早く気付いておけばよかった。
そんな風に思って自分を責めずに、気づくことのできた私たち自身の「生きる力」を抱きしめて大事にしていきましょう。


11.03.2018

「母親から逃げられない」Hさんのケース

Hさんの職場は東京都港区にありました。快活な女性です。
もうすでに社会人3年目でしたけど、実家から毎日出勤していました。このように実家から会社に通う若者は最近増えて来ているので「家賃とか生活費をお給料から払わなくていいなあ」ぐらいに思っていました。



ある日、オフィスで彼女と雑談をしていて、実家がどの辺にあるのか聞いてみたところ、神奈川県のかなり遠いところから片道2時間近くかけて通っているとのこと。そんな彼女は、

「一人暮らししたいんです」

と言う。

すればいいんじゃないの?いくらもらっているか具体的にはわからないけど、うちの会社の給料なら、贅沢できなくても普通のマンションぐらいは3年目でも借りれると思うから、職場に近いところで一人暮らしにチャレンジしてみたら?彼氏ができたりすると、実家だと不便じゃない? 

わたしはよくある若者の、一人暮らしがしたいけど、実家はお金かからないしなんだかんだで居心地いいからふんぎりがつかないという典型的なパターンだと思っていました。すると彼女は、

「わたしが一人暮らししたいって言うと、母に死ぬって言われるんです。わたしがいないと寂しくて死ぬっていうんです」

これは話を面白くするために多少盛って話しているのではないか?とはじめ思ったのですが、どうやら深刻な様子でした。彼女は英語に堪能で、将来は海外でも働いてみたいなという小さな夢も持っていました。

「海外に行くって言うものなら、ついて行くって言うんです」
「わたしはどこへもいけないんですよ」
「母から逃げられないんです」

私は、彼女の母親が毒親かどうかということをジャッジしたい訳ではありません。軽いオフィスのランチタイムのひとときで、その人の全てがわかるわけはありません。それでも、彼女の「一人暮らしがしたい」という誰もが持っているささやかな若者の夢というものを、親の都合で潰していいものかと思うのです。

このようなケースは多いのではないかと思います。この後の彼女がどうなったのか話をしていませんが、もし彼女が母親を振り切っていればそれは喜ばしいこと。しかし、もし、今でも母親の呪縛から逃れられずにもがいているのだとしたら、彼女自身の未来を自分でつくっていけるように遠くから願うばかりです。








11.02.2018

毒親持ちが言われる「人のせいにするな」は危険なアドバイス

毒親という言葉が世の中に知られるようになったのはここ数年なのかもしれません。
この言葉の出現、そしてそれまでの生きづらさ、不安症などの原因が親との関係にあるということがわかり、救われた人もいるのかもしれません。わたしはそのひとりです。




毒親、アダルトチルドレン、発達障害、境界性パーソナリティ障害に関する書籍も多く出版されるようになりました。そういった時代の流れの中で、ダヴィンチで紹介されていた一冊の本があります。
ダヴィンチニュース - 独立できない依存的な人ほど親を「毒親」と批判する? 精神科医が「毒親論」に終止符を打つ!


10.31.2018

アダルトチルドレンとは何か?


アダルトチルドレンとは何でしょうか。


この言葉はもともとアルコール中毒の親をもつ子供の問題に使われる言葉でした。それが昨今、アルコールの問題だけではなく機能不全の家庭で育ったことでトラウマを抱えて大人になった人へも使われるようになったのです。
















機能不全というのは、簡単にいうとストレスや緊張感が常にあるという家庭のことです。つまり、親から子供への虐待、アル中で親が親の役割を果たせない、あるいは育児放棄(ネグレクト)など、子供にとって健やかな成長が難しい環境のことです。


わたしの母も毒親です


はじめまして、このブログの管理をしているラルフです。
このブログに来てくれてありがとう。

ここに来てくれたということは、もしかしたら今、苦しい気持ちを抱えているのではありませんか?もし「毒親」「発達障害」というキーワードでここにたどり着いたなら、
今は自分を責めずに、ここでゆっくりしていってくださいね


毒親、アダルトチルドレン、虐待、発達障害








このブログの最初の記事には、どうして私がこのブログを作ろうと思ったかを書きたいと思います。その前にすこし、わたしの話をしますね。

わたしの母親は、毒親です。

暴力的な発言、批判的な言葉、傷つける言葉、子供をコントロールしようとする。母親の機嫌がいつどのような理由で変わるかわからず、子供の頃から常に不安感と緊張感のある暮らしをしていました。

18歳で東京に来て、大学進学から東京で就職。経済的にも親から自立すれば、この苦しみからすべて抜け出せると思っていました。確かに物理的に住む場所を離れ、経済的な依存もしなくなるということで、親への関わり方というのはそれまでに比べてずいぶんと楽になりました。しかし、時折電話で話すと幼少期、青春期に味わったあの恐怖感が蘇りました。場所は離れても、母親の暴力的な発言や、侮辱するような言葉は無くなりませんでした。むしろ、昔よりひどくなっているとすら感じました。



毒親という言葉は当時ありませんでした。

「親がついついキツいことをいうのは子供を心配してのこと」
「たまに実家に顔を出せば安心して何も言わなくなるよ」

わたしの周辺の知人、友人はそう言います。世間の一般論もそうでしょう。わたしは、そのようなアドバイス?のような言葉をもらうたびに「本当にそうなのかな?」という疑問と「わたしはダメな子供なのかな」という自分を責める気持ちの両方が混在し、大きなストレスを感じていました。とにかく、親というものはどうゆうものであっても基本的には子供が心配で大事、だから親孝行しなさい。そのような世間からのプレッシャーみたいなものもあり、わたしは段々と外で母親の話をすることはなくなりましたし、逆に周囲のひとには「うちは母親と仲がいい」と言うことすらありました。しかし、盆や正月に実家に帰ることはほとんどなくなりました。これは本当に「仲がいい」状態なのでしょうか?

毒親とわかったとき

35歳の時に恋人ができました。それまでも付き合う人はいましたが、その時に付き合った人とは国際恋愛だったのでお互いが一緒にいるためにはビザの問題もあり、結婚というキーワードも出てくるような間柄でした。

ある日、母親との電話で執拗に恋人の話を聞かれました。相手の仕事のこと、大学のこと、これからのこと・・・。ある程度の質問は耐えられますが、相手の大学や仕事のことを批判するような発言には、正直わたしもカチンときて、静かにこう言いました。「お母さんはわたしの恋愛をいつも否定するね」

すると母は豹変しました。今までに聞いたこともないような男の人のような野太い声になり「うるさい!だまれ!」と叫びました。「だまれ!だまれ!お前になんか言われたくない!」そのように電話口で怒鳴りました。

子供の頃から、母親のキツイ言葉、わたしを罵るような言葉は幾度となく聞いて来ましたが、このような豹変ぶりは初めてで、まるで映画で悪霊にとりつかれた人の声や性格が変わってしまったような、それぐらいの豹変ぶりで正直ゾッとしました。

話にならないので父親に変わってもらうように説得しました。父親は比較的安定した人で、取り乱すようなことがないひとでした。子供の頃から父親のことは好きで、何かあっても最終的には父親が出て来て解決ということもありました。しかし、電話口にでてきた父親はこうわたしに怒鳴りました。「お前は、親を変えようと指図するんじゃない!」

その瞬間、わたしの中で何かが小さく弾けました。もう頼るものはなにもないんだという気持ち、父親にそのように言われたショック、体が凍りつき全身が冷たくなるのを感じました。言葉が一切出てこなくなりました。

どうやって電話を終えたのか覚えていません。



精神虐待の被害という自覚

わたしは母親がついにおかしくなったと思いました。高齢になると脳が萎縮するというのをテレビか何かで聞いたような気もする。痴呆がはじまったのかもしれない、などと考えました。

母親のことを相談するために、心理カウンセラーに相談をしました。その時は気がつかなかったのですが、その方はトラウマ、発達障害、虐待被害の専門の心理士でした。わたしはカウンセリングを受けている最中に、ついに自分は精神的に虐待されていたのか、わたしが親不孝ものだという訳ではなかったのだということを自覚しました。

その時の気持ちは、正直言うととても安心した気持ちになりました。幼少の頃からおよそ30年間、ずっとわたしの人生を苦しめていたのはこれだったのか、そのような救われる思いがしました。この時の感情は今でも覚えています。今までの自分を責める気持ち、親から暴力的な言われ方をしても、それを受け止めなくてはいけないと耐えてきた自分、本音のところで早く親が他界してしまえばいいのにと本気で願ってしまう気持ちと、そのようなことを思ってしまう自分への罪悪感、葛藤。それら何十年も一緒にいたやりきれないきもちが、すーっと流れていくようでした。

そして今、わたしは完全に癒えたとは言えないかもしれませんが、色々なサポート、自分なりに読んだ文献、本、サイトなど、たくさんのものから勇気や癒しをもらって、わたしなりに傷を癒しつつあります。

その中で、大きな支えとなったもののひとつに「毒親で苦しんでいるのはわたしだけじゃないんだ」ということでした。この問題は、家庭内暴力と同じで、家庭という閉ざされた空間で起こる虐待です。わたしは35年間も、このようなケースは自分だけなのではないかとずっと心に秘めて来ました。しかしネットをみると大変多くの人が毒親に苦しんでいることがわかりました。わたしだけじゃないんだという気持ちは安心感を覚えました。



間違ったアドバイスが多い実情

大手の掲示板などで、同じように発達障害、虐待で苦しんでいるひとたちの相談をみると、間違ったアドバイス、一方的な決めつけなどが多くあることに気がつきました。多くの回答者は、それでも善意のアドバイスなんだと思いますが、間違ったアドバイスは本当に苦しい人をより追い詰める状況にしてしまします。

わたしは心理カウンセラーではありませんので、直接的なアドバイスをすることはできないかもしれません。ですが、わたし自身も虐待の被害者のひとりとして、わたしを支えてくれた方法を紹介することはできるのではないかと思いました。そしてわたしのように、苦しいのは自分一人だけじゃないんだという気持ちが安心感につながるひとがいるのなら、それはとても嬉しいことだと思い、このブログを書いています。

長くなりましたが、最後まで読んでくれてありがとう。
もしあなたが苦しい思いをしているのなら、だいじょうぶ、明るい明日はかならず来ます。


「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

毒親とは