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5.16.2019

ストレスを感じる力

ここ数年、仕事というものにかなりのストレスを感じるようになりました。仕事そのものというよりは職場にストレスを感じると言ったほうが正確かもしれません。これは年齢的なこともあるかもしれませんが、単純に自分の成長度合いもあるのかもしれません。理由は複合的なものとは思いますが、ひとつ決定的なことは「ストレスを感じていることを素直に認められる」ようになったということです。

2.08.2019

最新トラウマ治療 FAP療法とは

トラウマ治療には様々な方法がありますが、今回は「共感」に基づいたやり方でトラウマを解放、治療するという新しいトラウマ治療についてご紹介します。

初めに言うと、RalfはFAP療法を数回受けたことがあります。実体験に基づいていえば、これはある程度の効果はあると思います。暴露療法などと違って「え?これで終わり?」と受けた直後は拍子抜けでしたが、振り返ればFAP療法を受けたあたりから、トラウマ反応が少なくなってきたと思います。従来のトラウマ治療のやり方とはかなり違うので「何それ?」と思う人も多いと思います。EFTトラウマ治療を知っている、体験したことがある人で、トラウマがある種の神経的な病理であるということに知識がある人は、比較的スッとFAP療法も納得できると思います。


1.03.2019

毒親のトラウマ対処法 EFT感情解放テクニックについて

毒親に酷いことを言われて心が傷ついた、怒りや悔しさなどで苦しい思いをすることがあると思います。あるいは、過去の辛い思い出が蘇ってまた苦しくなったりすることもあるでしょう。

苦しい思いが心いっぱいになって、悲しい気持ちになったり、自暴自棄になったり。そんな気持ちを抱えていると何か他に楽しいことをしたくても全くできないし、布団の中で一日中何もできなかったなんていうこともありますよね。このように、傷ついた気持ちは身体のエネルギーが循環するのを妨げてしまいます。


11.25.2018

いじめのトラウマ Netflix「13の理由」

今回は、ネットフリックスで昨年話題を呼んだ 13 reasons why 「13の理由」というドラマから、誰にでも起こりうる心の葛藤について書いてみたいと思います。

このドラマは、自殺した女の子が死ぬ前に自分がどうして死ぬ事になったかをカセットテープに吹き込み自殺してしまいます。彼女の死のあと、クラスメートたちがそのテープを聞くというショッキングなストーリーです。どうして彼女は自殺にまで追い込まれたのか、テープを聴き進めていくごとに真実が明らかになっていきます。

11.17.2018

トラウマ(PTSD)とは 言葉の暴力もトラウマになる

トラウマという言葉を時々聞くと思いますが、正しい理解をしてこそ、正しい治療ができますので、今回はトラウマについて理解を深めていただけるような記事にします。

人間、誰しも生きていればショックなことに遭遇したり、悲しいこと辛いことがあります。その時はとても心がつらく塞ぎ込んでしまうこともありますが、時間が経てば次第に心はだんだんと元気になります。これはトラウマとはなりません。しかし、心に受けた傷がとても大きく深く、心がそれを受け入れがたい状態になり生活に支障をきたすようになればトラウマとなります。

11.07.2018

「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

このブログには「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けました。
これにはちょっとしたエピソードとわたしのささやかな思いがあります。




太平洋の真ん中、南半球にはいくつもの美しい島々があり、わたしは青い海が大好きでよく訪れています。ひとつの島に住む友人がおります。その友人と初めて会った時のことです。


11.05.2018

トラウマ反応「心が壊れる」感覚

わたしは、親からの暴言や侮辱的なことを言われた時に、体が強張り、胸が締め付けられるような感覚になっていました。顔が硬直して思考停止するのが自分でもわかりました。背中が強張り、全身が固まりました。こうゆう感覚を意識しだしたのが、覚えている限りでは小学校の中学年、高学年ぐらいからあったように思います。

これを言葉で表そうとすると「心が壊れる」です。

これは俗にいう「トラウマ反応」です。


言葉にできたのは、つい数年前でした。
心が壊れそう、壊れている。そんな風に感じました。




これまでの人生でも、普通の人が体験するようなショックな出来事もありました。恋人との別れ、仕事での失敗、ペットとの死別。そうゆうときも心が塞がるような、辛く苦しい瞬間はあったのですが、毒親からの暴言で受けるダメージは、心が大型のブルドーザーで一気にすべて踏み潰されるような感覚でした。

心が壊れる。

または「心がつぶれた」でしょうか。傷ついた、とかではなくて「潰された。壊れた」がこの感覚を言葉にするにはピッタリくるのです。

一方で、この感覚を自分で名付けることができて「今、心が壊れそうな状態になっている」と自分自身で気づけるようになった頃から、少しずつ癒しが進んでいるような気がします。

そんな時は、その感情を無視せずに寄り添うようにしています。
会社から家路に戻る途中で突然この感覚が蘇ってきたことも何度もありました。家に帰ってお風呂で泣いたり、ベッドでうつ伏せになってしばらくしていれば、また元気になりました。



自分で自分を癒そうとする体の動き


なんとなくですが、こういった感覚になったときに、決して無視して押さえつけようとせずに寄り添うことで、自分で自分を癒しているのではないか?と思うのです。

自分で自分を癒そうとして、体の奥で凍りついた感情やエネルギーを放出しているのではないかと思います。

なので、無視をしたり、感情に蓋をしてしまうと、せっかくの体のSOSを聞かないことになってしまいます。

この感覚をちゃんと意識的にホールドできていなかった子供時代と、成人してからの15年ぐらいは、感情を隠そうとしたり、闇雲に何かに夢中になったり、何かに依存したりすることで、きちんと向き合えてなかったのでは?と今になってはそう思います。

「心が壊れる」というのは、わたしが自分の気持ちがどうしようもないときに出てくる感情に対して名付けたものですが、人が変わればまた違う表現があるかもしれません。いずれにしても、自分の気持ちに寄り添うところから癒しははじまるのだとおもっています。