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4.28.2020

コロナ家庭内暴力 隠れたDV被害

みなさま、大変お久しぶりです。
更新にとっても時間が空いてしまいました。ラルフはこの期間、何かと忙しく過ごしておりましたが、今はコロナウイルスに感染しないようにできるだけ自宅に引きこもっております。

このような状態がすでに2ヶ月続いておりますが、周りでは家庭内不和が進んでしまっている家族をちらほら耳にします。ラルフの周りにいる家庭は、コロナウイルスがこのような状況になる前から不和があり、それが自粛の環境の中で際立ってきたという感じがします。


顕在化しにくい家庭内暴力

コロナウイルス の自粛期間でDVが酷くなったというのは日本だけではありませんが、このような状況になる前に比べて通報や相談の件数が低くなったという国もあります。これは一見するといいように聞こえますが、実は家庭内暴力を行う人物がずっと家にいるので通報ができない、外部の人に助けが求められないという、より悪い状況が隠されているのです。

先が見えない環境で経済的な不安やメンタルの不安定さが、家庭内暴力を加速させてしまっているのでしょう。これは由々しき問題であり、本来であれば直ちにシェルターに避難すべき案件ですが、外部から隔離されている以上できないのが実態です。

自粛でより家庭不和になる

夫げんきで留守がいいというテレビコマーシャルが過去あったような気がしますが、まさにこれは真実という気がします。コロナ離婚という言葉も生まれていますが、自粛の中で家庭内不和がどんどん進んでいる家庭も少なくありません。このような家庭は実はこの自粛になる前からなんらかの不和の種があり、それを解消せぬまま見ないようにしてきた結果、今、無視できない状態になっているという家族も多いのです。

家で仕事をしているのにも関わらず、休みと履き違えて色々と頼み事をしたり、逆に、仕事をしているということを言い訳に、家族の方を向かないなど、気になっていた家族の性格や行動を無視できない状態にあるのです。

また状況が戻れば、元通りに何事もなかったかのように戻る家族もあるのかもしれませんが、開いた溝はそう簡単には埋まらないのではないでしょうか。

耐えるよりも新しい工夫を

この状況さえ終われば、コロナさえ収束すれば全て元通りになると思ってはいけません。この状況はそもそも短期間で終わりませんし、今だけやり過ごせばいいと思っているとずっと我慢をすることになります。なので、難しいかもしれませんが、全く新しいやり方にトライするしか方法がないのです。まず、いい意味で家庭内で干渉しないようにする、できるだけ別の部屋で仕事をする。無理に一緒にご飯を食べようとしない、など、一緒にいることがストレスになるのですから、家庭内で上手に離れて暮らすのです。

とはいえ、この期間で相手のことがよくわかり、その後のことを考え直すというのも長い目で見てみれば悪くないということもあるかもしれません。

今回のブログではこれといった解決方法やラルフの体験談などが語れず申し訳ないのですが、隠れた家庭内不和や家庭内暴力の被害があるということわかっていれば「うちだけではないだろうか」という不安はまずなくなるのではないかと思います。






12.08.2019

家族という名の足枷

このブログでは、毒親、虐待などについての知識、および治療法やその他心理学などをテーマに、今尚苦しんでいる方々のために少しでも力になりたいと思い続けています。今日は、少し最近思うことについて、日記風ではありますが私自身の考えを少し書いてみたいと思います。


6.24.2019

毒親の二次被害 誰もわかってくれない辛さ

毒親を持つ人の多くは「この辛さを誰も理解してくれない」という気持ちをよく抱いてしまいます。自分と周りの温度差があまりにも違いすぎて人知れず孤立感を味わってしまうことがよくあるではないでしょうか?ラルフもこのような辛さはかなりの長い間感じていましたし、今では信頼しているカウンセラーとごく少数の友人のみに話しているだけで、すでに誰かに理解してもらいたいという気持ちはなくなりました。

なくなったとは言え、やはり面と向かって「それはあなたの思い込みよ」というようなことを言われると、当然心はざわつき、どんなに親しい友人でも心のどこかがうっすらと傷つくなあと思います。その友人には何にも落ち度はないにも関わらず、少し距離を置いてしまいそうになる。これが毒親被害の二次被害だと私は思っています。

今日は、第三者からの罪のない一言に傷ついてしまっている方に、鵜呑みにしなくていい言葉を少し紹介したいと思います。

5.02.2019

決裂が育てるもの 〜万引き家族〜

見たいと思っていた万引き家族をようやく見ることができました。是枝監督の作品は「誰もしらない」「そして父になる」とどの作品も大好きで、家族の形と絆がテーマです。よくありがちな家族っていいものだよねというシンプルなストーリーではなく、かといって血が繋がってなくても家族になれるというような陳腐なものでもなく、考えさせれられる映画です。
PexelsによるPixabayからの画像

※注意 映画の内容や結末についての記述があります。

虐待する親でも育てる権利はあるのか

稼業は万引きという犯罪に手を染めている一方で、家族のらしい心のあるやりとりと貧乏でも安心できる家庭。物語の前半はそのような家族のあたたかみが描かれますが、次第にこの家族は本当の家族ではないということが徐々にわかってきます。そしてこの家で暮らす子供や少女は虐待児や親との間で問題がある子供たちというのがわかります。ストーリーが進むにつて果たしてこの子供たちは本当の親の元で暮らすことが幸せなのか?という疑問を見ている側は抱きます。

決別することで育つ子供

映画を見進めると、このちぐはぐな家族に感情移入をしてしまいます。しかし、万引きは犯罪なのでいつかはバレ、警察に突き出されます。そして家族はバラバラになってしまいます。その時見ているひとはこの家族がバラバラになっていくのがいやだという気持ちになるのです。世間は無情だ、常識や法律で一辺倒にジャッジするのではなく実態をみてほしい、そんな風に思うほどこの家族を守りたいという気持ちになります。物語は家族が壊れたところで終わってしまいます。この結末が何を意味するのかわからなく取り残されたような気持ちになったので、もう一度是枝監督のコメントを読み返しました。

特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。

そして、ラストシーンについては決別で育つ子供もいるというコメントもされていました。確かに映画を見ていると家族がバラバラになってしまうことに悲劇を感じます。しかし、万引き稼業をずっと続けることはできません。少年は家族への想いもありながらも学校に通い始め、家族と離れて強くなっていくのです。

親と離れることで育つもの、強くなるもの

親に苦しめられた私はある時期事あるごとに「あんな親でなければ自分はもっと」「あんな風に育ったからだ」と親と自分の過去を恨んでいました。抵抗のフェーズがすぎ、様々な方法で癒しを進めると、ふとしたときに「あの経験があったからこそ」という考えが浮かんでくるようになったのです。わたしが今やっていること、できていること、それらは「親から離れたいために仕方なくやったこと」と恨むものではなく「あの環境だったからこそ得た素晴らしい体験」という気持ちになったです。(癒しのレベルがかなり進まないと自然に湧いてこないので、もし恨みが強い人はその恨みをしっかりと向き合うことが先のフェーズです)

実親じゃなくても育ててくれる人を大事に

さて、今回の記事は僭越ながらRalfの個人的なメッセージで締めくくりたいと思います。世の中で大事なことは実親ではなくてもたくさんの人たちが教えてくれます。それは分かりやすく先生とか講師などの肩書きがない人でも、年上でなくとも、自分の存在を軽んじずひとりの人間として扱ってくれるひとはたくさんいます。そのような人たちを大事にしてください。実親が愛情たっぷりに子供を育て、子供も親を大事にするという家族の理想の形に縛られる必要はありません。そのようなもはメディアのつくった虚像です。




2.02.2019

毒親に奪われた人生を取り返すために

自分の人生を生きていますか?
自分で好きなところへ行き、会いたい人に会って、
自分の気持ちや意見を言葉にできていますか?

誰かのために生きていませんか?
誰かの気持ちや、好みを優先していませんか?
人生を奪われていませんか?

毒親は条件つきの愛を与えます。これは本当の親から子への無償の愛ではありません。「テストでいい点だからいい子」「お母さんを困らせないから好き」など、親の都合で子供を愛したり、そうでなかったりすると子供は「親の喜ぶようなことをすれば愛してくれるんだ」と思うようになります。すると、日常での色々な事柄はすべて親の機嫌を取ることが目的となってしまい、自分の気持ちがわからなくなります。人生を奪われるのです。

1.31.2019

過干渉タイプの毒親にやってはいけないこと

過干渉する親に対して、やってはいけないいくつかのことをあげてみました。


進路や転職、引越しなどを相談してしまう

進路や転職の相談をしないほうがいいでしょう。基本的には自分のことは自分で決めましょう。うっかり毒親に相談すると、一方的に親の価値観を押し付けてきます。自分で決めた後に事後報告です。

1.28.2019

毒親の対処 悪循環から抜け出すには

考えさせられるツイートがあったので紹介です。今日は「間違った成功体験」についての記事です。



このツイッターは、すぐキレる老人について書かれたものですが「怒って人にいうことを聞かせた成功体験」は、解決したんじゃなくて、単に周りが譲っただけというところが、本当にそうだなと深く納得してしまいました。

毒親との関係は、どんどんと悪循環に陥って、最終的には決裂したり、場合によっては手がつけられなくなり傷害事件になることもあります。それは、この「解決したと思っている」という誤解の積み重ねによるものではないかと睨んでいます。


「子供を従わせた」という毒親の間違った成功体験

この誰からも相手にされない老人のように、毒親は子供が「自分の言うことを聞いた」「自分の言っていることが正しいと子供は理解した」と間違って認識している可能性がかなり高いです。しかし実際は、子供は親に対して何を言っても聞き入れてくれない、話にならないので話をすることを諦めた、あるいは、話をすることが不可能なので、会話をすることやめたというのが真実であり、決して親が認識しているような「子供が親のことを正しいと思って理解した」という状態ではないのです。

このようにお互いが真反対の認識をしていれば、当然遅かれ早かれまた同じようなことで衝突になります。すると、親はいつも通りに怒鳴ったり、子供をなじったり否定したりして、子供に会話をする気力をなくさせます。これを「子供は自分のことを正しいと理解した」という間違った成功体験になるのです。

「口応えしなければ無事」という子の間違った成功体験

成功体験は親の方ばかりではありません。子供の方も往往にして間違った成功体験をして、それを繰り返します。親が一方的な論法で子供をコントロールしてこようとしたり、理不尽な強い力でねじ伏せようとしてきたときに、何を言っても無駄だ、表面的に従ったふりをしていたら早く終わる、という間違った方法で回避していることが多いです。とりあえず、目先の不快感を終わらせるために「何もしなければ無事」というある種の成功体験は、急場の応急処置のひとつではありますが根本的な解決には当然なりません。しかもこのときの親は、何も口答えしない子供を見て「自分の言うことを理解した」と完全に間違って認識しています。

どうすれば悪循環から抜け出せるか

このように、冷静になればお互いの対処方法が間違っていて、しかも悪循環に陥っていると気づくのに、当事者になるとまったくそのような客観的な視点が持てません。これは、誰だってそうなります。悪循環から抜け出すのには、相当のパワーが必要なので、ついつい流れに身を任せたまま対処をせずに放置してしまうこともあります。

悪循環から抜け出すためには、決意が必要です。具体的な方法を探すためには、必要に応じて他者の力も必要になるかもしれません。自分でも行動や言動を帰る勇気も必要になります。それらは、今までにやったことのない行動で、その一歩が踏み出す不安も湧いてくるかもしれません。しかし、悪循環を抜け出すためには、最初の一歩が必要です。

具体的には、以下の行動がまず初めの一歩ですが、

・自分の意見を言う
・従ったふりをやめて、自分のやりたいようにする

これができたら苦労しないよ、という人は多いと思います。わたしもそうでした。毒親はこんな当たり前の行動すらできなくさせる毒を持っています。なので、どうしても上記の行動ができない場合は、以下の行動をまずおすすめします。

・自分の本当の気持ちを紙に書く
・本当の気持ちを、他の誰か(言える人)に言う

これは、あまりにも「従ったふり」を続けていると、本当に自分の気持ちがわからなくなってしまうからです。そうならないように、思っていることを紙に書くのは大事です。紙ではなくとも、スマホのメモに入れてもいいです。もし、誰かに聞いて欲しければ電話のカンセリングや愚痴聞き電話でもなんでもいいです。自分の本当に気持ちを、書いたり声に出すことでアウトプットするのです。すると、いつの日か必ず、毒親本人に向かって、自分の意見を言ったり、自分のやりたいように行動に起こせる時がくると思います。




12.03.2018

モラハラへの対処 加害者は自覚できるのか?

モラハラというのは本当に日常の隅々まで入り込んで、人の心を蝕んでいるなあと最近特に思うのですが、では、自分がまったくモラハラをしていないかと言い張れるかというと、それは実際よくよく自分の行動を振り返ってみないとわかりません。

わたしも仕事上で何かうまくいかないことがあると、ついつい上司のせいにしたりすることがごく稀ににあります。しかし、いわゆるモラハラの特徴である、一切の非を認めなかったり、言葉攻めにして相手を追い詰めたり、いきなり相手の存在を無視したりすることは無いなあと思います。


モラハラ加害者は本当に自覚がないのか

はい。ほとんどのケースでモラハラ加害者は自覚がないです。これは、自己愛性人格障害と同じで自分からすすんで治療を受けに来ることはほとんどありません。これは、自分で気が付いて進んで治療しようという人は、そもそもモラハラ常習犯にはならないのではないかと思うのです。

何か別のきっかけで気づくことはある

離婚がキッカケで鬱になり、カウンセリングを受けたところ自分がモラハラをしていたのではないかということに気づく場合が少ないですけどあります。あるいは、仕事がうまくいかなくて情緒不安定になり、心療内科や心理カウンセリングを訪れたところ、自分の行動が周りの人たちを遠ざからせいたということ気づいた、というケースもあります。

このように「自分がモラルハラスメント加害者です」とはっきりと自覚した上で治療にくるのは非常に少ないケースですが、別の問題が自分の行動を振り返るトリガーになり、モラルハラスメントをしていたことを自覚するようなケースはあるようです。

モラハラは改善できるのか?

本人が気づけは改善すると私は思っています。根気強く治療が必要とは思いますが、改善できると思います。まず、モラハラというものが何なのか、もっと一般的に広まる必要があると思いますし、自分だってモラハラに近い行動をとってしまう可能性があるのだということを自覚したほうがいいと思うのです。(これはパワハラやセクハラも同じですね) 

気づいた時点で半分治療は終わっている

これはモラルハラスメントに限らず、多くのメンタルの問題に言われていることです。不安障害、愛着障害、アダルトチルドレンなど、「自分で自覚する」ということが治療や普段よりよく生活していく点についていかに重要かということです。モラルハラスメントについては、本人が大きな心の問題を抱えているのです。つまり、モラルハラスメントの治療をしていく時に、かならずその人の過去の経験を探っていくことになります。これには、腕の立つカウンセラーや精神科医が治療する必要があります。

本人も止められない言動と行動

つい感情的になった時に、うっかり言ってしまった一言で相手を傷つけてしまったという経験は誰にでもあるのではないでしょうか?頭に血がのぼることは誰にでもありますし、つい心にも思ってなかった一言が出てしまった、あるいは、ついつい心とは裏腹な態度をとってしまった・・・。こういったことは(もちろん無いに越したことはありませんが)誰にでもありますし、ゼロにするというのは難しいのでは無いかと思うのです。

モラハラの常習者というのは、常にこのような「頭に血が上った状態」「まわりのことが考えられない状態」なのではないかなと思うのです。何かちょっとしたキッカケで、火がつくと本人も止められない、自分で問題を見つめることが困難だから周りにいる人のせいにする、そうする以外の方法がない。また、相手がどう思うかということを少しでも想像することができないほど、本人の頭の中は焦りや不安が渦巻き情緒不安定の状態です。このような状態で、まともに他者と関わることは不可能です。本人ですら、この状況がまずいということがわかっていません。

モラハラ常習犯に振り回される必要はない

このようにモラハラをする人には、そうゆう行動をするだけの心の乾き、問題を抱えていることがわかります。わたしは、このように相手を思うときについ同情してしまう癖があるのです。それは毒親に対しても同じでした。この人の言動や行動はむかつくけれど、きっとこの人にも事情があるんだ…。このように思うことで、相手を恨む気持ちが少し和らいだりすることもありました。それは、それでいいのかもしれません。しかし、相手の言動や行動が深く自分の心に突き刺さり、傷をつくるのも一方で事実なのです。

相手には、モラルハラスメントする事情があるのだなと理解し、相手の挑発に乗らないのはとても重要なことです。しかし、だからといって同情し、相手に振り回される必要もありませんし、それは絶対にあなたの為にはなりません。ですから、モラハラ常習犯を直そうとせずに、距離を置くことが結局はお互いにとって最善の方法になるのだと思っています。

→ モラルハラスメントとは






11.17.2018

トラウマ(PTSD)とは 言葉の暴力もトラウマになる

トラウマという言葉を時々聞くと思いますが、正しい理解をしてこそ、正しい治療ができますので、今回はトラウマについて理解を深めていただけるような記事にします。

人間、誰しも生きていればショックなことに遭遇したり、悲しいこと辛いことがあります。その時はとても心がつらく塞ぎ込んでしまうこともありますが、時間が経てば次第に心はだんだんと元気になります。これはトラウマとはなりません。しかし、心に受けた傷がとても大きく深く、心がそれを受け入れがたい状態になり生活に支障をきたすようになればトラウマとなります。

11.12.2018

毒親や虐待から逃げるには 住民票開示拒否

暴力によるDVは無論、虐待や毒親の被害から身を守るために住民票を開示しない、つまり、どこに住んでいるかを相手に知られないようにする方法はあります。これは相手が親族、親であっても開示されません。この方法を意外にも知らない方は多く、身の危険性がある場合や、精神的負担が大きすぎる場合は住民票開示拒否という手もありますのでご検討ください。




日本の法律で絶縁はできない

毒親の被害が原因で「親と縁を切りたい!」と思う人は多いようです。
しかし現在の日本では、法律によって親子関係を絶縁させるという方法は残念ながらありません。

ただ、法律上の親子関係が切れなくても、身を守るための措置はできます。

ご自身の住民票のある区役所あるいは市役所へ行き「住民票閲覧制限」という申し出をします。この住民票開示拒否の制限がかかれば、たとえ閲覧しようとする人が親や配偶者だったとしても役所から開示を拒否をされることになります。
閲覧制限をかけると以下のようになります。


住民基本台帳の閲覧制限・・支援対象者(あなた)の記載の削除現住所および前住所地における住民票の交付拒否現本籍および前本籍地における戸籍の附票の交付拒否


以前は、DVやストーカー被害者への支援措置でしたが、近年範囲が広がり、虐待被害者へもこのような支援措置が受けられることになりました。
これらの住民票等の閲覧制限を受けるには、被害者が「住民基本台帳事務における支援措置」を申し出る必要があります。


手続きの方法


①最寄の警察署や配偶者暴力相談支援センター、福祉総合センターで被害を相談します。


②住民登録の閲覧制限が必要と判断された場合は「支援措置申出書」(申出書)などを受け取ります。


③市民課に申出書などの資料(「保護命令決定書(写し)」や「ストーカー規制法に基づく警告等実施書面」などを添付)を提出し「支援措置」を申し出ます。


期間は1年ですが延長も可能です。

詳しくはこちらをどうぞ。
総務省
配偶者からの暴力(DV)、ストーカー行為等、児童虐待及びこれらに準ずる行為の被害者の方は、申出によって、住民票の写し等の交付等を制限できます。 



緊急性がないと断られるケースも

警察に相談した時点で認められなかったというケースがあるようです。役所で相談しても、警察が認めてなければ制限をかけるのは難しいという理由で断られることもあるそうです。わかりやすく暴力やストーカーなどがないと警察も動いてくれないようなので、精神的に虐待する親はなかなかその被害が認めてもらえないようです。これは、毒親で苦しんでいるひとたちにとって、悲しいことでしかありません。

家庭内の児童虐待で認めてもらえたケースも

住民票開示制限は、DVやストーカーの被害だけではなく「家庭内の児童虐待」「家庭内の性的虐待」でも制限をかける理由として認められるようです。現在は成人していても、過去の虐待ということで申請することも可能だったというケースもあるようなので、もし物理的な暴力の被害がなくても、過去の児童虐待ということで申請してみてはいかがでしょうか?自治体によっても対応は違うかもしれません。

総務省 住民基本台帳

最悪、住民票開示拒否があるという選択


私の場合は、閲覧制限まではかけていませんが、この方法があると知ったとき実際に制限するしないはさておき、とても安堵感を覚えました。離婚届を結婚生活のお守りにするという人がたまにいますが、その気持ちが全然理解できませんでしたが、こうゆうことなのかな?と思いました。究極的な方法をしっておくだけでも、何かあれば支援措置があると覚えておくだけで心の余裕に繋がると思います。

特に今、暴力や精神的な虐待で苦しんでいる方、また、離れて暮らしていても毒親からの押しかけに困っている方は、引っ越しのタイミングで住民票閲覧制限の措置の検討をしてみてもいいかもしれません。特にストーカー被害のある方にはこのような方法があることを知っておいてください。








11.11.2018

モラルハラスメントとは

モラルハラスメントとは、被害者に外傷が残る、肉体的で直接的な暴力とは違い、モラルハラスメントは言葉や態度などで嫌がらせをすることです。精神的暴力、心理的暴力とも言われます。


モラルハラスメントは物理的に傷をつけるわけではないので、周りから見ても気がつきにくく事態が悪化することがあるので注意が必要です。また、モラルハラスメントという言葉は比較的最近になって日本では認知されたので、加害者も被害者もこれがハラスメント行為だということに気がつかず、長期間に渡ってハラスメントが行われることがあり、大変深刻なケースに発展することも多くあります。

毒親からのモラルハラスメント

モラルハラスメントは、夫婦間やオフィスでも行われることが多いものです。ここでは、毒親と子供との関係性において起きやすいモラルハラスメントについて記載しています。

子供の失敗を責め続ける

子供は失敗するものです。失敗をし学び、そこから成長をするのであって、親はそれを見守りながらも時には叱ることももちろん必要です。しかし、子供の失敗をいつまでもネチネチと繰り返し、なじることで、子供は健全な成長の機会を失います。失敗をすることが恐ろしくなり、子供が将来に向けてのチャレンジができなくなります。常に毒親の顔色ばかりを伺って行動するようになり、子供の「自分で判断する能力」「新しいことにチャレンジする精神」を奪います。

舌打ちをしたり、無視をしたりする

毒親が子供に対して舌打ちをしたり、無視をするのはモラルハラスメントになります。小さな子供にとって親という存在は自身の生存がかかった存在であり、その存在から無視をされ続けると、基本的な信頼という情緒の発育に悪影響があります。また、舌打ちなど子供に恐怖や不安感を与えるような行動もモラルハラスメントになります。

イライラの八つ当たりをする

イライラすることは誰にでもあります。そして、ついうっかり八つ当たりをしてしまったということは誰にでもあることです。しかし、それが常態化し、親よりも弱い立場である子供に対して、毒親自身のイライラのはけ口にするのはモラルハラスメントです。幼少期からこのような八つ当たりが続くと、子供は八つ当たりをされることに慣れてしまい、自分自身の尊厳を傷つけられます。

他人のいるところでバカにする

子供であってもひとりの人間であり、子供同士での社会コミュニティは存在しますし、子供なりに社会と関わっています。親が子供をひとりの人間として尊重せず、他人のいる前で(子供の友達、先生、親戚、近所の人なども含みます)バカにするような言動や行動は、毒親に悪意があろうがなかろうがモラルハラスメントになります。

物に当たる

直接的に暴力を振るわなくても、物を破壊したり投げたりすることは、子供に対して脅したり威嚇しているのと同じです。これは当然モラルハラスメントです。家庭内にこのような暴力が起こると、子供は安全地帯を無くし、情緒に重大な悪影響を及ぼします。

責任転嫁し、子供のせいにする

子供自身の失敗や悪さによって引き起こされたことではなく、毒親自身が思いどおりに行かなかったフラストレーションを子供のせいにする言動「お前がのろのろしているから時間に遅れた」や、まったく子供に関係ないこと「今日仕事でうまくいかなかったのは、昨夜お前が自分をイライラさせたからだ」などといって責任転嫁するのは重大なモラルハラスメントです。

自分の非を認めない

上記同様、毒親は自分自身のことを冷静に振り返り、必要なら反省するということができないので、自分自身の非を正しく認め、次の成長につなげていくという健全なサイクルが持てないでいます。そして、子供に対してもまったく非を認めず、場合によっては子供に責任転嫁するので、子供に敗北感や無力感を植えつけます。

子供のプライバシーを侵す

子供は親の所有物ではありません。よって、まだ成人していない子供であっても基本的なプライバシーは守られるべきであり、子供の持ち物や日記、私信の手紙を断りなく見る、部屋に無断で入るというのは望ましい行動ではありません。

しかし、親は当然、子供の安全を守る義務があるので、子供に良くない付き合いがあるような疑惑があったり、安全面で心配なことがあるのでれば、まず勝手に携帯電話や持ち物を探る前に、子供との会話を適切に持つようにしたほうがいいです。子供の携帯電話を断りなく閲覧したり、部屋を探るのは状況が緊急の時に限られた親の義務であり、日常的に行うべきではありません。

子供に罪悪感を抱かせるよう仕向ける

子供に罪悪感を与えて、自分の言うことを聞かせようとするのはマインドコントロールであり、モラルハラスメントです。親と子供という、絶対的な上下の関係性を利用し、親の幸せを決めるのは子供であると、暗にすり込みます。すると、子供は親自身がイライラしているのは自分のせいだと思うようになり、すべて親の機嫌を取るような言動や行動となります。毒親はこれを無意識に行います。当然、重大なモラルハラスメントです。

子供に無関心

子供の健康状態、発育状態など、子供への無関心はモラルハラスメントです。もし、基本的な衣食住にも無関心であればそれは育児放棄(ネグレクト)になり、重大な虐待になります。

子供に嘘をつき混乱させる

親が抱えているすべてのことを子供に話す必要は当然なく、状況に応じて子供にどこまでの話をするかは親それぞれの判断に任されます。しかし、子供との信頼関係を揺るがすような嘘をつき混乱させることが常態化しているのであればモラルハラスメントです。子供と遊びに行く約束をしていたのに、親の勝手な都合でキャンセルし悪びれず、子供を落胆させつづけるのもこれにあたります。子供は「嘘をつかれた」という気持ちになります。アルコール依存症の毒親では、このような状況がよく見られます。

子供に対して人権を否定するような言動をする

お前なんか産まなければよかった、お前は堕ろそうと思っていたなど、子供の存在そのものを脅かし否定するような言動はモラルハラスメントですし、虐待にもなります。それ以外に、お前は何をやってもダメた、お前は何もできない、など極論を用いて相手の人格を全否定するような言動もモラルハラスメントになります。

他者や他の兄弟との比較、差別をする

子供と他者を比較して、評価をし続けるのは子供の健全な心の成長に置いて、大きな影響を与えます。また、比較することで常に人間関係には優越があるものだという認識をせざるをえなくなり、条件付きで自分の尊厳を保つような歪みを与えます。

モラルハラスメントの恐ろしさは、被害者が気づかないこと

上記のようなモラルハラスメントは、明確な線引きはないので判断が難しいことがあるかもしれませんが、子供が親の顔色を常に伺っているような関係は、モラルハラスメントの可能性が高いと思います。

子供が親の顔色を常にうかがってビクビクしだすと、それはすでにマインドコントロールされている状態で、冷静に考えることが難しくなります。そして、さらに外傷がないので、学校や地域のコミュニティでも発見しづらくなります。

もし、自分の親からモラルハラスメントを受けているのではないか?と気づいている人、過去のモラルハラスメントで大人になっても生きづらいを感じている人は、適切なエスケープと癒しが必要です。






11.10.2018

モラスハラスメントで星の王子様は死んだ

星の王子様はモラハラで殺された!?

こんな衝撃的なアングルで語られた本があります。
星の王子様といえば、長い間、子供への良書として取り上げられることも多く、小学校や中学校では読んでおくべき一冊に入れられることも多いでしょう。それがまさかこの本の主人公である星の王子様はモラルハラスメントの被害者あるとは衝撃です。
モラルハラスメントとは

11.09.2018

毒親で苦しんでいる高校生へ

毒親を持つ高校生へ。
わたしは、高校を卒業したら一人暮らしを勧めたいです。経済的な理由で一人暮らしできない方も多くいるかもしれません。寮を持っている大学への進学はどうでしょうか?あるいは、最近ではルームシェアという手もあるかもしれません。もし、大学に進学せずに就職をするならば、経済的にも独り立ちできます。

11.08.2018

「親なんだから仕方ない」という言葉に惑わされてはいけない

毒親を持つ人々は、何度となく傷つき、心も体もボロボロになり、その時は「早く親なんて死んでしまえばいい」と本気で思うぐらいの気持ちになります。一方で「親なんだから仕方ない」「親も傷ついている」「親も完璧な人間ではない」そのように言われたり、思ったりすることはないでしょうか。




葛藤する心

毒親をもつ人は、そうやって親に死んで欲しいと本気で思うほどの怒りとともにありながら、同時に、親の暴言や暴力を「親なんだから仕方ない」という言葉で許さざるを得ない状況にあるのです。

ふたつの相反する感情が、たったひとつの心にあるのです。
そうすると、本当の自分がわからなくなります。多くの毒親もちは、他者とのコミュニケーションにおいて問題を発症しやすくなります。拒絶と許しを同時に求められる環境にずっといるのですから。

「親なんだから仕方ない」という言葉を鵜呑みにしてはいけません。



相手が親だろうと、他人だろうと、自分を傷つける人と一緒にいる必要はありません。自分を傷つける相手に、自分の意見を毅然として言うのは当然です。


毒親の問題は、親と子という絶対的な上下のヒエラルキーにおいて行われる肉体的、精神的な暴力なので、相手に毅然と立ち向かうという行動がなかなかできないものです。ですから、まずはとにかく一緒にいないようにする。とにかく、逃げに逃げてください。まずはそこからです。






11.07.2018

「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

このブログには「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けました。
これにはちょっとしたエピソードとわたしのささやかな思いがあります。




太平洋の真ん中、南半球にはいくつもの美しい島々があり、わたしは青い海が大好きでよく訪れています。ひとつの島に住む友人がおります。その友人と初めて会った時のことです。


毒親のタイプ

毒親とはどのような親か。毒親にはいくつかの分類があります。ここでは、スザーン・フォワード「毒になる親」で解説されている7つの毒親(神様のような親、義務を果たさない親、コントロールばかりする親、アルコール中毒の親、残酷な言葉で傷つける親、暴力を振るう親、性的な行為をする親)を紹介します。詳しくは、スーザン・フォワードの著書をぜひご覧ください。



11.05.2018

トラウマ反応「心が壊れる」感覚

わたしは、親からの暴言や侮辱的なことを言われた時に、体が強張り、胸が締め付けられるような感覚になっていました。顔が硬直して思考停止するのが自分でもわかりました。背中が強張り、全身が固まりました。こうゆう感覚を意識しだしたのが、覚えている限りでは小学校の中学年、高学年ぐらいからあったように思います。

これを言葉で表そうとすると「心が壊れる」です。

これは俗にいう「トラウマ反応」です。


言葉にできたのは、つい数年前でした。
心が壊れそう、壊れている。そんな風に感じました。




これまでの人生でも、普通の人が体験するようなショックな出来事もありました。恋人との別れ、仕事での失敗、ペットとの死別。そうゆうときも心が塞がるような、辛く苦しい瞬間はあったのですが、毒親からの暴言で受けるダメージは、心が大型のブルドーザーで一気にすべて踏み潰されるような感覚でした。

心が壊れる。

または「心がつぶれた」でしょうか。傷ついた、とかではなくて「潰された。壊れた」がこの感覚を言葉にするにはピッタリくるのです。

一方で、この感覚を自分で名付けることができて「今、心が壊れそうな状態になっている」と自分自身で気づけるようになった頃から、少しずつ癒しが進んでいるような気がします。

そんな時は、その感情を無視せずに寄り添うようにしています。
会社から家路に戻る途中で突然この感覚が蘇ってきたことも何度もありました。家に帰ってお風呂で泣いたり、ベッドでうつ伏せになってしばらくしていれば、また元気になりました。



自分で自分を癒そうとする体の動き


なんとなくですが、こういった感覚になったときに、決して無視して押さえつけようとせずに寄り添うことで、自分で自分を癒しているのではないか?と思うのです。

自分で自分を癒そうとして、体の奥で凍りついた感情やエネルギーを放出しているのではないかと思います。

なので、無視をしたり、感情に蓋をしてしまうと、せっかくの体のSOSを聞かないことになってしまいます。

この感覚をちゃんと意識的にホールドできていなかった子供時代と、成人してからの15年ぐらいは、感情を隠そうとしたり、闇雲に何かに夢中になったり、何かに依存したりすることで、きちんと向き合えてなかったのでは?と今になってはそう思います。

「心が壊れる」というのは、わたしが自分の気持ちがどうしようもないときに出てくる感情に対して名付けたものですが、人が変わればまた違う表現があるかもしれません。いずれにしても、自分の気持ちに寄り添うところから癒しははじまるのだとおもっています。


11.04.2018

虐待で傷ついた心のケアは何歳からでも大丈夫

精神的虐待の心のトラウマは、大人になってから蘇り、

生きづらさを感じることがあります。

今までうっすらと感じていた「すぐ不安になる自分」「時々感情がコントロールできない自分」などの「生きづらさ」で苦しんでいたのは心理虐待の影響だったのかと気づくのです。





気付いた時が、ようやく自分を癒してあげるベストタイミングです。


もしその気付いた時が、30歳を超えていた、40歳を超えていた、年齢は関係ありません。また、この問題は加害者である親がたとえすでに他界していたとしても癒されていない心は、生きづらさのまま取り残されてしまっています。

人生の多くの部分を親にコントロールされていた。
もっと早く気付いていれば・・・


そんな風に思ってしまうかもしれません。どうして気づかなかったのかという自分を責める気持ち、こんなに苦しめた親への恨みと憎悪、そのような感情が出て来るかもしれません。でもいいのです。そんな感情も感じていいのです。

そして、実はこの気づきがまったくないまま一生を終えてしまう人も、たくさんいるのです。

心のケアは何歳からでも遅くありません。

わたしたちは今、ちゃんと気づけているのです。年齢は関係ありません。
私たちの心にある芯が、ちゃんと「自由になりたい」「自分の人生を生きたい」とそのポジティブなパワーを輝かせているのです。

もっと早く気付いておけばよかった。
そんな風に思って自分を責めずに、気づくことのできた私たち自身の「生きる力」を抱きしめて大事にしていきましょう。


11.03.2018

「母親から逃げられない」Hさんのケース

Hさんの職場は東京都港区にありました。快活な女性です。
もうすでに社会人3年目でしたけど、実家から毎日出勤していました。このように実家から会社に通う若者は最近増えて来ているので「家賃とか生活費をお給料から払わなくていいなあ」ぐらいに思っていました。



ある日、オフィスで彼女と雑談をしていて、実家がどの辺にあるのか聞いてみたところ、神奈川県のかなり遠いところから片道2時間近くかけて通っているとのこと。そんな彼女は、

「一人暮らししたいんです」

と言う。

すればいいんじゃないの?いくらもらっているか具体的にはわからないけど、うちの会社の給料なら、贅沢できなくても普通のマンションぐらいは3年目でも借りれると思うから、職場に近いところで一人暮らしにチャレンジしてみたら?彼氏ができたりすると、実家だと不便じゃない? 

わたしはよくある若者の、一人暮らしがしたいけど、実家はお金かからないしなんだかんだで居心地いいからふんぎりがつかないという典型的なパターンだと思っていました。すると彼女は、

「わたしが一人暮らししたいって言うと、母に死ぬって言われるんです。わたしがいないと寂しくて死ぬっていうんです」

これは話を面白くするために多少盛って話しているのではないか?とはじめ思ったのですが、どうやら深刻な様子でした。彼女は英語に堪能で、将来は海外でも働いてみたいなという小さな夢も持っていました。

「海外に行くって言うものなら、ついて行くって言うんです」
「わたしはどこへもいけないんですよ」
「母から逃げられないんです」

私は、彼女の母親が毒親かどうかということをジャッジしたい訳ではありません。軽いオフィスのランチタイムのひとときで、その人の全てがわかるわけはありません。それでも、彼女の「一人暮らしがしたい」という誰もが持っているささやかな若者の夢というものを、親の都合で潰していいものかと思うのです。

このようなケースは多いのではないかと思います。この後の彼女がどうなったのか話をしていませんが、もし彼女が母親を振り切っていればそれは喜ばしいこと。しかし、もし、今でも母親の呪縛から逃れられずにもがいているのだとしたら、彼女自身の未来を自分でつくっていけるように遠くから願うばかりです。