6.24.2019

毒親の二次被害 誰もわかってくれない辛さ

毒親を持つ人の多くは「この辛さを誰も理解してくれない」という気持ちをよく抱いてしまいます。自分と周りの温度差があまりにも違いすぎて人知れず孤立感を味わってしまうことがよくあるではないでしょうか?ラルフもこのような辛さはかなりの長い間感じていましたし、今では信頼しているカウンセラーとごく少数の友人のみに話しているだけで、すでに誰かに理解してもらいたいという気持ちはなくなりました。

なくなったとは言え、やはり面と向かって「それはあなたの思い込みよ」というようなことを言われると、当然心はざわつき、どんなに親しい友人でも心のどこかがうっすらと傷つくなあと思います。その友人には何にも落ち度はないにも関わらず、少し距離を置いてしまいそうになる。これが毒親被害の二次被害だと私は思っています。

今日は、第三者からの罪のない一言に傷ついてしまっている方に、鵜呑みにしなくていい言葉を少し紹介したいと思います。

親が厳しかっただけでしょ?

毒親と聞いて「それは親が厳しかったんだね」という人がいます。これは間違いです。

わたしは親が子供を育てるときに時には厳しい教育が必要だと思います。しかし毒親は時に(母親の場合が多いですが)あなたのためを思って、という言葉を使って子供を追い詰めます。子供が悪いことをしようとしたり、誰かを傷つけたりしたときに厳しく叱ったり、何かを制限したりすることは健全なのです。

そうではなく、子供の友人関係を親が厳しく制限したり、子供の話を聞かないということが日常的に行われているのは、厳しいというラインを超えて「子供をコントロールする」ということになります。よって、毒親のことを「親が厳しかっただけでしょ」という意見は的外れであり、鵜呑みにする必要はありません。

親は子供が可愛くて仕方がないんだよ

このブログは、毒親に苦しめられている人に少しでも助けになればと思って書いておりますので、ひょっとすると子供を持っていらっしゃる方が読んだら、不快になる部分もあるかもしれません。誤解を恐れずに書くと、私も、ほとんどの親は子供のことが可愛いと思っているのだと思います。

しかし、だからといって子供の自由を奪ったり、親のために子供を利用するのは、子供の一生を苦しめることになります。子供は可愛いけれども親の持ち物ではありません。人間は親の庇護がないと生きていけない期間が長いので、ついつい子供が親の持ち物のようになってしまいがちなのかもしれませんが「可愛いから」というのが全ての理由や言い訳にはならないのです。

ウチもそうだった

これは場合によると思うので、かならずしも傷つくわけではないのですが、私は昔自分の経験を数名の友人に話すと「うちもそうだった!」といって、如何に親が厳しかったかを伝えられたことがあります。友人にしてみれば善意の告白だったのかもしれませんが、話の内容は自分の体験と程遠く思ってしまったことがあります。何度かこの言葉を聞いて以来「うちもそうだった」という言葉は、ほとんど信じないことにしています。

昔の親はみんなそうだよ

そうなのかもしれません。確かに、私の親は典型的な団塊世代で、学歴主義かつ生き方の種類があまりない時代でした。よって親が生きてきた時代と、私たちが生きている時代があまりに違いすぎて価値観のズレが時として軋轢になることはあると思います。

しかし、そのようなジェネレーションギャップを考慮しても、ありえないほどの心の踏みつけ方をしてきた親を「世代が違うから」という表面的な理由で理解することができないのが毒親を持つ人の辛さです。この言葉は、ほぼスルーした方がいいです。精神的・暴力的な虐待にジェネレーションギャップは理由になりません。

親のせいにしちゃだめだよ

完全に的外れのセリフです。この言葉を聞くと「そうなのかな、自分が悪いのかな」という気持ちになり自分を責め続けます。自分を責めるのはどうゆう状態であれよくないことです。親のせいにするなという無責任な意見は、完全に聞かなくて大丈夫です。



以上の他に「話せばわかる」や「親は会いたいと思っているはずだよ」など、他にも的外れな言葉はありますが、それを発している人を責めてはいけません。彼らは毒親の被害を知らないのです。毒親の被害をちゃんと理解して受け止めてくれる場所や人は他にいます。まわりの友人関係を壊さないためにも、スルーしたほうがいい言葉を紹介しました。



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