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10.24.2021

演技性パーソナリティ障害 - 平気で嘘をつくことで人間関係を崩壊させる人たち

お久しぶりです。
最近嘘をつきましたか?

人は大なり小なり嘘はついてしまうものです。本当は寝坊したのに、電車が遅れたと言ってしまったり、食べたのに食べてないと言ったり。比較的小さな嘘もあれば、誰かを陥れるような嘘をつく人もいます。人は嘘をついた時に、自分は今、事実と違うことを言ったという自覚がありますし、多少なりとも罪悪感に駆られるものです。しかし、罪悪感に駆られるどころか、本人は真実だと思い込んでしまう、そんな厄介な人がいます。



虚言癖にみるパーソナリティ障害

一言でパーソナリティ障害といっても、いくつかに分類されるようです。このブログでも取り上げたことのある「自己愛性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」「演技性パーソナリティ障害」です。最近、この「演技性パーソナリティ障害」と思われる人物との接触があったので、筆者は医者ではないが、その体験を書いてみようと思います。(医者ではないので診断をしたわけではありません。あくまでも、その人物の行動や言動から、演技性パーソナリティ障害に当てはまるものが多い、という体験です)

演技性パーソナリティ障害の特徴

演技性パーソナリティ障害の特徴を大まかに列挙すると、

  1. 自分がいつも目立っている存在でいたいと思っている
  2. 他者との関係を、相手が思っている以上に近い存在、仲良しであると思い込む
  3. 自分自身をドラマチックに演出する
  4. 見栄っ張りで、見た目にこだわり人の気を惹こうとする
  5. やたらと大袈裟に物事を誇張する
  6. 相手が大物であればあるほど、自分と親密だと強調する

目立ちたいという欲求、大物と親密になりたいという願望は、多くの人にあるものなので、そのような気持ち自体が問題であるとは思えません。上記のような願望を満たすためなら、平気で嘘をつき、事実とは異なることを拡散したり、相手を混乱させたりし、他者との関係やコミュニティを壊したにも関わらず、本人には申し訳ないという気持ちがないどころか、自分は一才間違っていないと思っていると、演技性パーソナリティ障害に該当するのではないかと思います。

本人の中では嘘が真実になる

この人たちの恐ろしいところは、結局は自分自身にしか興味がないので、自分が賞賛を得ることや、目立って心地よくなるためには平気で都合のいい嘘をつきます。さらには、その嘘は本人の中では「真実」となります。しかし、本当に事実を語っているのではなく、自分自身が賞賛を浴びるような「都合のいい」解釈をするので、同じ話なのに相手が変われば微妙に内容が変わったり、時系列が変わったりするので、結局何が事実なのかわからなくなります。また、こうゆう人がコミュニティにいたり、職場にいると、周りを当惑させます。本人に事実を確認しても、本人は自分さえ不利な立場にならず、都合よく話を作るので、余計にわからなくなるどころか、周りの信頼を無くします。

本人だけが「仲良し」だと思っている

やたらと「あの人とは仲がいい」「あの人は自分のことをわかっている」と親密であるということをアピールします。それが、ある意味なんらかのポジショントークだったり、仕事上の「言葉のあや」であるならまだしも、このタイプはヘタをすると「あの人は自分に好意がある」と勝手に思い込んでいたりします。そして、自分は色々な人と親密であったり、好意を持たれているということを周りに吹聴し、自分がいかに価値があり、人気者であるかをアピールします。

自分を称賛しない人を敵と思い込む

自分のことを称賛しない人に対して敵と思い込む節があるように思います。そもそも人間関係というのは白黒ではっきり分かれないものですし、ある共通の目的をもったコミュニティや、職場の関係になると、個人的な感情というのは時に後回しにし、ドライに付き合う場面も大いにあります(むしろその方が多い)。しかに、演技性パーソナリティ障害は、その人間関係がなんらかの共通目的を持った集団としてそれぞれの役割があるということではなく、自分がいかに目立って、重要人物と思われるか、ということが最大の目的なので、その狙いにそぐわない人は敵とみなし、他の人の前で批判をし陥れようとしたり、わざと悪く評価をします。

こうゆう人が近くにいたら

関わらない、というのが最もいい方法ですが、状況によっては全く関わらないわけにはいかない場合もあると思います。その場合は、感情よりも事実ベースで話を進め、職場の関係なら議事録を取ったり、会話が形に残るようにしましょう。あとから、事実をねじ曲げられることを防ぐためです。また、あくまでも社交辞令でお世辞を言ったことが「あいつは自分に好意がある」のように都合の良い解釈をされる恐れもあります。淡々と話すことがコツです。

このタイプは、遅かれ早かれ、周りの人たちから避けられるようになります。自分から「この環境は自分の価値がわからないダメな人たちだ」と思って、自ら去っていってくれるのが良いですが、なかなかそうもいかないこともあるでしょう。接触を最小限にとどめ、相手の思う壺にならないことです。


1.31.2019

過干渉タイプの毒親にやってはいけないこと

過干渉する親に対して、やってはいけないいくつかのことをあげてみました。


進路や転職、引越しなどを相談してしまう

進路や転職の相談をしないほうがいいでしょう。基本的には自分のことは自分で決めましょう。うっかり毒親に相談すると、一方的に親の価値観を押し付けてきます。自分で決めた後に事後報告です。

1.07.2019

転職を繰り返す自己愛性人格障害者


今回は、毒親の自己愛性パーソナリティ障害とはテーマが違いますが、このような相手を利用する人たちの毒牙にかからないように、社会人の自己愛性パーソナリティ障害の行動例をあげてみたいと思います。

はじめに言っておきたいのですが、転職の回数が多いからと言って決してその人になんらかの障害や問題あるというわけでは決してありません。昨今、転職しながらキャリアをあげることは珍しくありませんが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)には以下のような点で転職を繰り返す傾向にある人がいます。

・自分はもっと認められるべきだと、不満を抱える。
・上記のような態度なので、上司や同僚とうまくいかない。
・自分はもっと有能だと言う割には実績は乏しい。

このような理由から、次々と職場を変えて行く、あるいは変えざるを得ないという人がいます。



1.02.2019

自己愛性人格障害と自己嫌悪

あけましておめでとうございます。2019年ですね。
さて、わたくしは2018年12月から元旦にかけて海外で休暇をとっておりました。娯楽といえば海があるだけの太平洋の真ん中にポツンとある島に行っておりまして、特に何もせず毎日をだらだらと過ごしておりました。渡航前に、知人がこの休暇中に読むと良いよということで岸田秀のものぐさ精神分析 (中公文庫)をプレゼントしてくれたので、それをちょびちょびと読みながら過ごしていました。あんまり南の島で読むような本ではないと思いますが(苦笑)いくつもの大変面白い発見があったので、紹介したいと思います。最も深く納得した箇所が「自己嫌悪」と章立てられたところで、今回はこれについて書きたいと思います。



12.03.2018

モラハラへの対処 加害者は自覚できるのか?

モラハラというのは本当に日常の隅々まで入り込んで、人の心を蝕んでいるなあと最近特に思うのですが、では、自分がまったくモラハラをしていないかと言い張れるかというと、それは実際よくよく自分の行動を振り返ってみないとわかりません。

わたしも仕事上で何かうまくいかないことがあると、ついつい上司のせいにしたりすることがごく稀ににあります。しかし、いわゆるモラハラの特徴である、一切の非を認めなかったり、言葉攻めにして相手を追い詰めたり、いきなり相手の存在を無視したりすることは無いなあと思います。


モラハラ加害者は本当に自覚がないのか

はい。ほとんどのケースでモラハラ加害者は自覚がないです。これは、自己愛性人格障害と同じで自分からすすんで治療を受けに来ることはほとんどありません。これは、自分で気が付いて進んで治療しようという人は、そもそもモラハラ常習犯にはならないのではないかと思うのです。

何か別のきっかけで気づくことはある

離婚がキッカケで鬱になり、カウンセリングを受けたところ自分がモラハラをしていたのではないかということに気づく場合が少ないですけどあります。あるいは、仕事がうまくいかなくて情緒不安定になり、心療内科や心理カウンセリングを訪れたところ、自分の行動が周りの人たちを遠ざからせいたということ気づいた、というケースもあります。

このように「自分がモラルハラスメント加害者です」とはっきりと自覚した上で治療にくるのは非常に少ないケースですが、別の問題が自分の行動を振り返るトリガーになり、モラルハラスメントをしていたことを自覚するようなケースはあるようです。

モラハラは改善できるのか?

本人が気づけは改善すると私は思っています。根気強く治療が必要とは思いますが、改善できると思います。まず、モラハラというものが何なのか、もっと一般的に広まる必要があると思いますし、自分だってモラハラに近い行動をとってしまう可能性があるのだということを自覚したほうがいいと思うのです。(これはパワハラやセクハラも同じですね) 

気づいた時点で半分治療は終わっている

これはモラルハラスメントに限らず、多くのメンタルの問題に言われていることです。不安障害、愛着障害、アダルトチルドレンなど、「自分で自覚する」ということが治療や普段よりよく生活していく点についていかに重要かということです。モラルハラスメントについては、本人が大きな心の問題を抱えているのです。つまり、モラルハラスメントの治療をしていく時に、かならずその人の過去の経験を探っていくことになります。これには、腕の立つカウンセラーや精神科医が治療する必要があります。

本人も止められない言動と行動

つい感情的になった時に、うっかり言ってしまった一言で相手を傷つけてしまったという経験は誰にでもあるのではないでしょうか?頭に血がのぼることは誰にでもありますし、つい心にも思ってなかった一言が出てしまった、あるいは、ついつい心とは裏腹な態度をとってしまった・・・。こういったことは(もちろん無いに越したことはありませんが)誰にでもありますし、ゼロにするというのは難しいのでは無いかと思うのです。

モラハラの常習者というのは、常にこのような「頭に血が上った状態」「まわりのことが考えられない状態」なのではないかなと思うのです。何かちょっとしたキッカケで、火がつくと本人も止められない、自分で問題を見つめることが困難だから周りにいる人のせいにする、そうする以外の方法がない。また、相手がどう思うかということを少しでも想像することができないほど、本人の頭の中は焦りや不安が渦巻き情緒不安定の状態です。このような状態で、まともに他者と関わることは不可能です。本人ですら、この状況がまずいということがわかっていません。

モラハラ常習犯に振り回される必要はない

このようにモラハラをする人には、そうゆう行動をするだけの心の乾き、問題を抱えていることがわかります。わたしは、このように相手を思うときについ同情してしまう癖があるのです。それは毒親に対しても同じでした。この人の言動や行動はむかつくけれど、きっとこの人にも事情があるんだ…。このように思うことで、相手を恨む気持ちが少し和らいだりすることもありました。それは、それでいいのかもしれません。しかし、相手の言動や行動が深く自分の心に突き刺さり、傷をつくるのも一方で事実なのです。

相手には、モラルハラスメントする事情があるのだなと理解し、相手の挑発に乗らないのはとても重要なことです。しかし、だからといって同情し、相手に振り回される必要もありませんし、それは絶対にあなたの為にはなりません。ですから、モラハラ常習犯を直そうとせずに、距離を置くことが結局はお互いにとって最善の方法になるのだと思っています。

→ モラルハラスメントとは






11.30.2018

毒親の電話から逃げる方法

親と離れて暮らしている人たちでも、毒親からのコントロールが後を引く場合があります。それは、一緒に暮らしていないとはいえ電話やメール等で定期的、断続的に連絡が続いている場合です。

毒親を根本的に変えることは諦めた方が賢明です。どうやって毒親から逃げるかを全力で考えて実行したほうが、毒親を変えようとするよりずっと建設的ですし、早いです。今日は、気が乗らない親からの電話にどうやって対処すればいいかをご紹介します。

11.16.2018

電通と毒親のモラハラ共通点 

今回は、色々な場所で起こるモラルハラスメントについて。毒親のモラハラや会社で起こるモラハラには共通点があります。



毒親からのモラハラは、親と子供という絶対的な上下関係を利用して密室で行われます。オフィスで行われるモラハラ・パワハラは、上司と部下という絶対的な上下関係を利用して、密室で行われます。オフィスの場合は、まわりに別の社員がいるにも関わらず、他の社員も自分に被害が及ぶことを恐れ、注意をしたり第三機関(人事部など)に通報することができません。よって、周りに人がたくさんいるにも関わらず、モラハラ・パワハラを許してしまう状況になります。これはほぼ密室状態と同じです。

11.11.2018

毒親からの過干渉をいかに防ぐか

過干渉をする毒親の性格を変えることはできません。しかし、過干渉をできるだけさせず、口を出す余地を極端に減らすことは可能です。特に、子供がすでに成人をしていて経済的にも親から独立している場合は「しつけ」という言い訳も聞きません。以下、毒親からの過干渉を防ぐためのコツとして参考になれば幸いです。

モラルハラスメントとは

モラルハラスメントとは、被害者に外傷が残る、肉体的で直接的な暴力とは違い、モラルハラスメントは言葉や態度などで嫌がらせをすることです。精神的暴力、心理的暴力とも言われます。


モラルハラスメントは物理的に傷をつけるわけではないので、周りから見ても気がつきにくく事態が悪化することがあるので注意が必要です。また、モラルハラスメントという言葉は比較的最近になって日本では認知されたので、加害者も被害者もこれがハラスメント行為だということに気がつかず、長期間に渡ってハラスメントが行われることがあり、大変深刻なケースに発展することも多くあります。

毒親からのモラルハラスメント

モラルハラスメントは、夫婦間やオフィスでも行われることが多いものです。ここでは、毒親と子供との関係性において起きやすいモラルハラスメントについて記載しています。

子供の失敗を責め続ける

子供は失敗するものです。失敗をし学び、そこから成長をするのであって、親はそれを見守りながらも時には叱ることももちろん必要です。しかし、子供の失敗をいつまでもネチネチと繰り返し、なじることで、子供は健全な成長の機会を失います。失敗をすることが恐ろしくなり、子供が将来に向けてのチャレンジができなくなります。常に毒親の顔色ばかりを伺って行動するようになり、子供の「自分で判断する能力」「新しいことにチャレンジする精神」を奪います。

舌打ちをしたり、無視をしたりする

毒親が子供に対して舌打ちをしたり、無視をするのはモラルハラスメントになります。小さな子供にとって親という存在は自身の生存がかかった存在であり、その存在から無視をされ続けると、基本的な信頼という情緒の発育に悪影響があります。また、舌打ちなど子供に恐怖や不安感を与えるような行動もモラルハラスメントになります。

イライラの八つ当たりをする

イライラすることは誰にでもあります。そして、ついうっかり八つ当たりをしてしまったということは誰にでもあることです。しかし、それが常態化し、親よりも弱い立場である子供に対して、毒親自身のイライラのはけ口にするのはモラルハラスメントです。幼少期からこのような八つ当たりが続くと、子供は八つ当たりをされることに慣れてしまい、自分自身の尊厳を傷つけられます。

他人のいるところでバカにする

子供であってもひとりの人間であり、子供同士での社会コミュニティは存在しますし、子供なりに社会と関わっています。親が子供をひとりの人間として尊重せず、他人のいる前で(子供の友達、先生、親戚、近所の人なども含みます)バカにするような言動や行動は、毒親に悪意があろうがなかろうがモラルハラスメントになります。

物に当たる

直接的に暴力を振るわなくても、物を破壊したり投げたりすることは、子供に対して脅したり威嚇しているのと同じです。これは当然モラルハラスメントです。家庭内にこのような暴力が起こると、子供は安全地帯を無くし、情緒に重大な悪影響を及ぼします。

責任転嫁し、子供のせいにする

子供自身の失敗や悪さによって引き起こされたことではなく、毒親自身が思いどおりに行かなかったフラストレーションを子供のせいにする言動「お前がのろのろしているから時間に遅れた」や、まったく子供に関係ないこと「今日仕事でうまくいかなかったのは、昨夜お前が自分をイライラさせたからだ」などといって責任転嫁するのは重大なモラルハラスメントです。

自分の非を認めない

上記同様、毒親は自分自身のことを冷静に振り返り、必要なら反省するということができないので、自分自身の非を正しく認め、次の成長につなげていくという健全なサイクルが持てないでいます。そして、子供に対してもまったく非を認めず、場合によっては子供に責任転嫁するので、子供に敗北感や無力感を植えつけます。

子供のプライバシーを侵す

子供は親の所有物ではありません。よって、まだ成人していない子供であっても基本的なプライバシーは守られるべきであり、子供の持ち物や日記、私信の手紙を断りなく見る、部屋に無断で入るというのは望ましい行動ではありません。

しかし、親は当然、子供の安全を守る義務があるので、子供に良くない付き合いがあるような疑惑があったり、安全面で心配なことがあるのでれば、まず勝手に携帯電話や持ち物を探る前に、子供との会話を適切に持つようにしたほうがいいです。子供の携帯電話を断りなく閲覧したり、部屋を探るのは状況が緊急の時に限られた親の義務であり、日常的に行うべきではありません。

子供に罪悪感を抱かせるよう仕向ける

子供に罪悪感を与えて、自分の言うことを聞かせようとするのはマインドコントロールであり、モラルハラスメントです。親と子供という、絶対的な上下の関係性を利用し、親の幸せを決めるのは子供であると、暗にすり込みます。すると、子供は親自身がイライラしているのは自分のせいだと思うようになり、すべて親の機嫌を取るような言動や行動となります。毒親はこれを無意識に行います。当然、重大なモラルハラスメントです。

子供に無関心

子供の健康状態、発育状態など、子供への無関心はモラルハラスメントです。もし、基本的な衣食住にも無関心であればそれは育児放棄(ネグレクト)になり、重大な虐待になります。

子供に嘘をつき混乱させる

親が抱えているすべてのことを子供に話す必要は当然なく、状況に応じて子供にどこまでの話をするかは親それぞれの判断に任されます。しかし、子供との信頼関係を揺るがすような嘘をつき混乱させることが常態化しているのであればモラルハラスメントです。子供と遊びに行く約束をしていたのに、親の勝手な都合でキャンセルし悪びれず、子供を落胆させつづけるのもこれにあたります。子供は「嘘をつかれた」という気持ちになります。アルコール依存症の毒親では、このような状況がよく見られます。

子供に対して人権を否定するような言動をする

お前なんか産まなければよかった、お前は堕ろそうと思っていたなど、子供の存在そのものを脅かし否定するような言動はモラルハラスメントですし、虐待にもなります。それ以外に、お前は何をやってもダメた、お前は何もできない、など極論を用いて相手の人格を全否定するような言動もモラルハラスメントになります。

他者や他の兄弟との比較、差別をする

子供と他者を比較して、評価をし続けるのは子供の健全な心の成長に置いて、大きな影響を与えます。また、比較することで常に人間関係には優越があるものだという認識をせざるをえなくなり、条件付きで自分の尊厳を保つような歪みを与えます。

モラルハラスメントの恐ろしさは、被害者が気づかないこと

上記のようなモラルハラスメントは、明確な線引きはないので判断が難しいことがあるかもしれませんが、子供が親の顔色を常に伺っているような関係は、モラルハラスメントの可能性が高いと思います。

子供が親の顔色を常にうかがってビクビクしだすと、それはすでにマインドコントロールされている状態で、冷静に考えることが難しくなります。そして、さらに外傷がないので、学校や地域のコミュニティでも発見しづらくなります。

もし、自分の親からモラルハラスメントを受けているのではないか?と気づいている人、過去のモラルハラスメントで大人になっても生きづらいを感じている人は、適切なエスケープと癒しが必要です。






11.10.2018

モラスハラスメントで星の王子様は死んだ

星の王子様はモラハラで殺された!?

こんな衝撃的なアングルで語られた本があります。
星の王子様といえば、長い間、子供への良書として取り上げられることも多く、小学校や中学校では読んでおくべき一冊に入れられることも多いでしょう。それがまさかこの本の主人公である星の王子様はモラルハラスメントの被害者あるとは衝撃です。
モラルハラスメントとは

11.07.2018

「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

このブログには「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けました。
これにはちょっとしたエピソードとわたしのささやかな思いがあります。




太平洋の真ん中、南半球にはいくつもの美しい島々があり、わたしは青い海が大好きでよく訪れています。ひとつの島に住む友人がおります。その友人と初めて会った時のことです。


11.05.2018

毒親とは

毒親という言葉は、2001年に翻訳出版されたアメリカのセラピスト、スーザン・フォワードによって書かれた「毒になる親」という本で出て来た言葉です。原版では TOXIC PARENTSというタイトル、その名の通り毒になる親という意味です。


親というものは、当たり前ですが当然人間です。完璧な人間がこの地球上には存在しないように、完璧な親というのも当然存在しません。親だって間違ったことを言ってしまったり、冷静さを欠いた行動や言動をすることもあります。

スーザン・フォワードの著書からの言葉を拝借すると、

子供に対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親。

という風に書かれています。

自己愛的な親からの悪影響

ほとんどのケースで親の自己愛が子供に大きな悪影響を与えます。たとえどんな親でも「つねに子供のことを考え、子供の幸せを願っている」というのがそれまでの「親」というものであり、たとえその表現方法に問題があっても「親は子供のことを考えている」「いかなることがあっても子は親に感謝すべきである」という社会通念が根強くあり、毒親の問題が明るみになるのを拒んでいました。

しかし、自己愛的な親というのは「子供のため」という仮面を被っている「自分のために子供を利用する親」であり、しばしば子供はそんな自己愛的な親の犠牲になります。そして、子供が大人になり、成人しても、子供時代に植えつけられた「親の犠牲」は消えていくことはありません。むしろ対人関係、特に近しい恋人や配偶者との間で問題が起こり、苦しめます。

経済的に自立をしても毒親の影響は消えない

「そんなに親が嫌なら、自立すればいいじゃないか」
そのような意見もあるでしょうし、それは一方では真実とも言えます。しかし、毒親というのは、子供が親の庇護が必要な幼少期から始まり、性格が形成され、社会性を学ぶ子供から青春時代という多感な時期に親の自己愛に振り回され、本来ならしっかりと成長するはずの自立心や社会的コミュニケーション力、そして最も大事な「自尊心」を十分に育てることができずに成人し、そのまま社会に出ていくのです。

健康的な家庭でも、子は反抗期を迎えるとおのずと親を疎ましく思うようになり、親との喧嘩や意見の食い違いが出ます。しかしこれは成長にとって大事な側面であり、必要なことです。

どこからどこまでが毒親、という明確な基準が医学的にあるわけではありませんが、以下の項目にあてはまることが多い場合は、親の悪影響を少なからず受けている可能性があります。


  • あなたの親は、あなたの人間としての価値を否定するようなことを言ったり、侮辱の言葉を使ったり、罵ったりしたか。
  • あなたの親は、あなたを批判するような言動をよくしたか。
  • あなたの親は、あなたを叱るとき体罰をあたえたか。物を使ったか。
  • あなたの親は、しょっちゅう酒に酔ったり薬物を使っていて、それをあなた自身は混乱したり、嫌な気持ちや恐怖を感じていたか。
  • あなたの親は、精神状態が不安定で、いつもあなたを一人にしていたか。
  • あなたは親を怖がっていることが多かったか。
  • あなたは親に腹を立ててもかまわなかったか、それとも、親に対してそのような感情を表現することは怖くてできなかったか。
  • あなたの親は、あなたを威圧したり、罪悪感を感じさせたりして、自分の思い通りに行動させようとしたか。
  • 親と離れて暮らしている場合、これから親と会うことになっているとき、あるいは一緒に過ごした後で肉体的、精神的に甚だしい反応が出るか。
  • あなたは親の考えに反対するのに勇気がいるか。
  • あなたの親は、金銭的なことを利用して、自分の思い通りに行動させようとするか。
  • あなたの親は、あなたに対して秘密を守らなくてはいけないようなことをしたことがあるか。何らかの性的な行為をしたことがあるか。
  • あなたの親は、いろいろな問題を抱えており、そのためにあなたは世話をしなければならなかったか。
  • あなたの親は、あなたが大人になっても子供のように扱うか。
  • あなたが人生において決定する多くのことは、親がそれをどう思うだろうかということが基本になっているか。
  • 親がどうゆう気分でいるかあなたの責任だと思うか。もし親が不幸だとしたら、それはあなたのせいだと思うか。
  • 親に幸福感を感じさせるのはあなたの仕事だと思うか。

(スーザン・フォワード 毒になる親 から抜粋)






10.31.2018

わたしの母も毒親です


はじめまして、このブログの管理をしているラルフです。
このブログに来てくれてありがとう。

ここに来てくれたということは、もしかしたら今、苦しい気持ちを抱えているのではありませんか?もし「毒親」「発達障害」というキーワードでここにたどり着いたなら、
今は自分を責めずに、ここでゆっくりしていってくださいね


毒親、アダルトチルドレン、虐待、発達障害








このブログの最初の記事には、どうして私がこのブログを作ろうと思ったかを書きたいと思います。その前にすこし、わたしの話をしますね。

わたしの母親は、毒親です。

暴力的な発言、批判的な言葉、傷つける言葉、子供をコントロールしようとする。母親の機嫌がいつどのような理由で変わるかわからず、子供の頃から常に不安感と緊張感のある暮らしをしていました。

18歳で東京に来て、大学進学から東京で就職。経済的にも親から自立すれば、この苦しみからすべて抜け出せると思っていました。確かに物理的に住む場所を離れ、経済的な依存もしなくなるということで、親への関わり方というのはそれまでに比べてずいぶんと楽になりました。しかし、時折電話で話すと幼少期、青春期に味わったあの恐怖感が蘇りました。場所は離れても、母親の暴力的な発言や、侮辱するような言葉は無くなりませんでした。むしろ、昔よりひどくなっているとすら感じました。



毒親という言葉は当時ありませんでした。

「親がついついキツいことをいうのは子供を心配してのこと」
「たまに実家に顔を出せば安心して何も言わなくなるよ」

わたしの周辺の知人、友人はそう言います。世間の一般論もそうでしょう。わたしは、そのようなアドバイス?のような言葉をもらうたびに「本当にそうなのかな?」という疑問と「わたしはダメな子供なのかな」という自分を責める気持ちの両方が混在し、大きなストレスを感じていました。とにかく、親というものはどうゆうものであっても基本的には子供が心配で大事、だから親孝行しなさい。そのような世間からのプレッシャーみたいなものもあり、わたしは段々と外で母親の話をすることはなくなりましたし、逆に周囲のひとには「うちは母親と仲がいい」と言うことすらありました。しかし、盆や正月に実家に帰ることはほとんどなくなりました。これは本当に「仲がいい」状態なのでしょうか?

毒親とわかったとき

35歳の時に恋人ができました。それまでも付き合う人はいましたが、その時に付き合った人とは国際恋愛だったのでお互いが一緒にいるためにはビザの問題もあり、結婚というキーワードも出てくるような間柄でした。

ある日、母親との電話で執拗に恋人の話を聞かれました。相手の仕事のこと、大学のこと、これからのこと・・・。ある程度の質問は耐えられますが、相手の大学や仕事のことを批判するような発言には、正直わたしもカチンときて、静かにこう言いました。「お母さんはわたしの恋愛をいつも否定するね」

すると母は豹変しました。今までに聞いたこともないような男の人のような野太い声になり「うるさい!だまれ!」と叫びました。「だまれ!だまれ!お前になんか言われたくない!」そのように電話口で怒鳴りました。

子供の頃から、母親のキツイ言葉、わたしを罵るような言葉は幾度となく聞いて来ましたが、このような豹変ぶりは初めてで、まるで映画で悪霊にとりつかれた人の声や性格が変わってしまったような、それぐらいの豹変ぶりで正直ゾッとしました。

話にならないので父親に変わってもらうように説得しました。父親は比較的安定した人で、取り乱すようなことがないひとでした。子供の頃から父親のことは好きで、何かあっても最終的には父親が出て来て解決ということもありました。しかし、電話口にでてきた父親はこうわたしに怒鳴りました。「お前は、親を変えようと指図するんじゃない!」

その瞬間、わたしの中で何かが小さく弾けました。もう頼るものはなにもないんだという気持ち、父親にそのように言われたショック、体が凍りつき全身が冷たくなるのを感じました。言葉が一切出てこなくなりました。

どうやって電話を終えたのか覚えていません。



精神虐待の被害という自覚

わたしは母親がついにおかしくなったと思いました。高齢になると脳が萎縮するというのをテレビか何かで聞いたような気もする。痴呆がはじまったのかもしれない、などと考えました。

母親のことを相談するために、心理カウンセラーに相談をしました。その時は気がつかなかったのですが、その方はトラウマ、発達障害、虐待被害の専門の心理士でした。わたしはカウンセリングを受けている最中に、ついに自分は精神的に虐待されていたのか、わたしが親不孝ものだという訳ではなかったのだということを自覚しました。

その時の気持ちは、正直言うととても安心した気持ちになりました。幼少の頃からおよそ30年間、ずっとわたしの人生を苦しめていたのはこれだったのか、そのような救われる思いがしました。この時の感情は今でも覚えています。今までの自分を責める気持ち、親から暴力的な言われ方をしても、それを受け止めなくてはいけないと耐えてきた自分、本音のところで早く親が他界してしまえばいいのにと本気で願ってしまう気持ちと、そのようなことを思ってしまう自分への罪悪感、葛藤。それら何十年も一緒にいたやりきれないきもちが、すーっと流れていくようでした。

そして今、わたしは完全に癒えたとは言えないかもしれませんが、色々なサポート、自分なりに読んだ文献、本、サイトなど、たくさんのものから勇気や癒しをもらって、わたしなりに傷を癒しつつあります。

その中で、大きな支えとなったもののひとつに「毒親で苦しんでいるのはわたしだけじゃないんだ」ということでした。この問題は、家庭内暴力と同じで、家庭という閉ざされた空間で起こる虐待です。わたしは35年間も、このようなケースは自分だけなのではないかとずっと心に秘めて来ました。しかしネットをみると大変多くの人が毒親に苦しんでいることがわかりました。わたしだけじゃないんだという気持ちは安心感を覚えました。



間違ったアドバイスが多い実情

大手の掲示板などで、同じように発達障害、虐待で苦しんでいるひとたちの相談をみると、間違ったアドバイス、一方的な決めつけなどが多くあることに気がつきました。多くの回答者は、それでも善意のアドバイスなんだと思いますが、間違ったアドバイスは本当に苦しい人をより追い詰める状況にしてしまします。

わたしは心理カウンセラーではありませんので、直接的なアドバイスをすることはできないかもしれません。ですが、わたし自身も虐待の被害者のひとりとして、わたしを支えてくれた方法を紹介することはできるのではないかと思いました。そしてわたしのように、苦しいのは自分一人だけじゃないんだという気持ちが安心感につながるひとがいるのなら、それはとても嬉しいことだと思い、このブログを書いています。

長くなりましたが、最後まで読んでくれてありがとう。
もしあなたが苦しい思いをしているのなら、だいじょうぶ、明るい明日はかならず来ます。


「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

毒親とは