10.31.2018

わたしの母も毒親です


はじめまして、このブログの管理をしているラルフです。
このブログに来てくれてありがとう。

ここに来てくれたということは、もしかしたら今、苦しい気持ちを抱えているのではありませんか?もし「毒親」「発達障害」というキーワードでここにたどり着いたなら、
今は自分を責めずに、ここでゆっくりしていってくださいね


毒親、アダルトチルドレン、虐待、発達障害








このブログの最初の記事には、どうして私がこのブログを作ろうと思ったかを書きたいと思います。その前にすこし、わたしの話をしますね。

わたしの母親は、毒親です。

暴力的な発言、批判的な言葉、傷つける言葉、子供をコントロールしようとする。母親の機嫌がいつどのような理由で変わるかわからず、子供の頃から常に不安感と緊張感のある暮らしをしていました。

18歳で東京に来て、大学進学から東京で就職。経済的にも親から自立すれば、この苦しみからすべて抜け出せると思っていました。確かに物理的に住む場所を離れ、経済的な依存もしなくなるということで、親への関わり方というのはそれまでに比べてずいぶんと楽になりました。しかし、時折電話で話すと幼少期、青春期に味わったあの恐怖感が蘇りました。場所は離れても、母親の暴力的な発言や、侮辱するような言葉は無くなりませんでした。むしろ、昔よりひどくなっているとすら感じました。



毒親という言葉は当時ありませんでした。

「親がついついキツいことをいうのは子供を心配してのこと」
「たまに実家に顔を出せば安心して何も言わなくなるよ」

わたしの周辺の知人、友人はそう言います。世間の一般論もそうでしょう。わたしは、そのようなアドバイス?のような言葉をもらうたびに「本当にそうなのかな?」という疑問と「わたしはダメな子供なのかな」という自分を責める気持ちの両方が混在し、大きなストレスを感じていました。とにかく、親というものはどうゆうものであっても基本的には子供が心配で大事、だから親孝行しなさい。そのような世間からのプレッシャーみたいなものもあり、わたしは段々と外で母親の話をすることはなくなりましたし、逆に周囲のひとには「うちは母親と仲がいい」と言うことすらありました。しかし、盆や正月に実家に帰ることはほとんどなくなりました。これは本当に「仲がいい」状態なのでしょうか?

毒親とわかったとき

35歳の時に恋人ができました。それまでも付き合う人はいましたが、その時に付き合った人とは国際恋愛だったのでお互いが一緒にいるためにはビザの問題もあり、結婚というキーワードも出てくるような間柄でした。

ある日、母親との電話で執拗に恋人の話を聞かれました。相手の仕事のこと、大学のこと、これからのこと・・・。ある程度の質問は耐えられますが、相手の大学や仕事のことを批判するような発言には、正直わたしもカチンときて、静かにこう言いました。「お母さんはわたしの恋愛をいつも否定するね」

すると母は豹変しました。今までに聞いたこともないような男の人のような野太い声になり「うるさい!だまれ!」と叫びました。「だまれ!だまれ!お前になんか言われたくない!」そのように電話口で怒鳴りました。

子供の頃から、母親のキツイ言葉、わたしを罵るような言葉は幾度となく聞いて来ましたが、このような豹変ぶりは初めてで、まるで映画で悪霊にとりつかれた人の声や性格が変わってしまったような、それぐらいの豹変ぶりで正直ゾッとしました。

話にならないので父親に変わってもらうように説得しました。父親は比較的安定した人で、取り乱すようなことがないひとでした。子供の頃から父親のことは好きで、何かあっても最終的には父親が出て来て解決ということもありました。しかし、電話口にでてきた父親はこうわたしに怒鳴りました。「お前は、親を変えようと指図するんじゃない!」

その瞬間、わたしの中で何かが小さく弾けました。もう頼るものはなにもないんだという気持ち、父親にそのように言われたショック、体が凍りつき全身が冷たくなるのを感じました。言葉が一切出てこなくなりました。

どうやって電話を終えたのか覚えていません。



精神虐待の被害という自覚

わたしは母親がついにおかしくなったと思いました。高齢になると脳が萎縮するというのをテレビか何かで聞いたような気もする。痴呆がはじまったのかもしれない、などと考えました。

母親のことを相談するために、心理カウンセラーに相談をしました。その時は気がつかなかったのですが、その方はトラウマ、発達障害、虐待被害の専門の心理士でした。わたしはカウンセリングを受けている最中に、ついに自分は精神的に虐待されていたのか、わたしが親不孝ものだという訳ではなかったのだということを自覚しました。

その時の気持ちは、正直言うととても安心した気持ちになりました。幼少の頃からおよそ30年間、ずっとわたしの人生を苦しめていたのはこれだったのか、そのような救われる思いがしました。この時の感情は今でも覚えています。今までの自分を責める気持ち、親から暴力的な言われ方をしても、それを受け止めなくてはいけないと耐えてきた自分、本音のところで早く親が他界してしまえばいいのにと本気で願ってしまう気持ちと、そのようなことを思ってしまう自分への罪悪感、葛藤。それら何十年も一緒にいたやりきれないきもちが、すーっと流れていくようでした。

そして今、わたしは完全に癒えたとは言えないかもしれませんが、色々なサポート、自分なりに読んだ文献、本、サイトなど、たくさんのものから勇気や癒しをもらって、わたしなりに傷を癒しつつあります。

その中で、大きな支えとなったもののひとつに「毒親で苦しんでいるのはわたしだけじゃないんだ」ということでした。この問題は、家庭内暴力と同じで、家庭という閉ざされた空間で起こる虐待です。わたしは35年間も、このようなケースは自分だけなのではないかとずっと心に秘めて来ました。しかしネットをみると大変多くの人が毒親に苦しんでいることがわかりました。わたしだけじゃないんだという気持ちは安心感を覚えました。



間違ったアドバイスが多い実情

大手の掲示板などで、同じように発達障害、虐待で苦しんでいるひとたちの相談をみると、間違ったアドバイス、一方的な決めつけなどが多くあることに気がつきました。多くの回答者は、それでも善意のアドバイスなんだと思いますが、間違ったアドバイスは本当に苦しい人をより追い詰める状況にしてしまします。

わたしは心理カウンセラーではありませんので、直接的なアドバイスをすることはできないかもしれません。ですが、わたし自身も虐待の被害者のひとりとして、わたしを支えてくれた方法を紹介することはできるのではないかと思いました。そしてわたしのように、苦しいのは自分一人だけじゃないんだという気持ちが安心感につながるひとがいるのなら、それはとても嬉しいことだと思い、このブログを書いています。

長くなりましたが、最後まで読んでくれてありがとう。
もしあなたが苦しい思いをしているのなら、だいじょうぶ、明るい明日はかならず来ます。


「楽しむことが怖い人たちへ」と名付けた理由

毒親とは


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