12.08.2019

家族という名の足枷

このブログでは、毒親、虐待などについての知識、および治療法やその他心理学などをテーマに、今尚苦しんでいる方々のために少しでも力になりたいと思い続けています。今日は、少し最近思うことについて、日記風ではありますが私自身の考えを少し書いてみたいと思います。


家族という存在の違和感

語弊を恐れずに言いましょう。わたしは家族というコミュニティの単位に違和感を感じます。それは決して、家族などいらない、意味がないと言っているのではありません。ただただ、自分にとって家族とは背中に重りがついたような、行動が制限されるような、もっとはっきりいうと足枷になるような存在になるのではないか?という漠然とした恐怖があるのです。これは自分が生まれ育った家族という環境への恐怖なのでしょうが、自分が新しいパートナーを得て、自分なりの家族を作ろうかと思う時にも同じような感覚になります。

しかし、独身や離婚率が上がったとはいえ、やはり大部分の人がやがては自分のパートナーを持ち、子供を産み育て、家族という単位になっていくのです。そのような友人がまわりに増えていくにつれて「ああ、わたしも家族を持ちたいなあ」と意識していく人もたくさんいると思いますが(それはいいことですが)わたしにとっては、まったく自分とは違う考え方の人といういう捉え方をしているので、羨ましくなったり、触発されることは正直言ってほとんどありません。正確にいうと、そのような感覚を持つこと自体に恐怖を感じることもあります。

血縁を大事にする社会

是枝監督が「万引き家族」でカンヌグランプリを獲得した時にインタビューで言っていた言葉が、わたしの気持ちを正確に表していると思いましたので、ここに紹介します。

「血縁が無い中で人って家族が作れるのだろうか?」という問いについて考えてみたいということでしょうか。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。

震災以降「家族の絆」「家族の愛」としきりに歌うメディアや、それをなんの違和感もなく受け入れる大勢の人たちに、わたしもどこか居心地の悪さを感じていました。しかしそれは、きっとわたしが特殊な経験があるからそう思っているだけで、マイノリティな意見でしかない。これをいうと、牛乳に墨汁を垂らすようなもので、口に出してはいけない。という風にどこかで思っていました。よって、わたしはこの「家族の絆」という話題から自然に遠ざかり、否定はしないけれども見えない場所に自らいくということをしています。

しかし、このような言葉にできない思いを表してくれたのが是枝監督の映画で、惹かれる理由がわかったのです。

どこまで逃げればいいのかわからない

若い頃、私の人生のほとんどはエスケープでした。ここから逃げたい、出来るだけ遠く、誰も追ってこれない安全な場所にたどり着くまで、走って逃げたいという自分でも時折コントロールできなくなる衝動がすべての行動の根底にありました。幸い私には、かろうじてちょっとしたクリエイティブ能力のようなものがあり、本当に若い頃はそれひとつのみで世の中を渡っていたように思います。学校にもろくに行っていませんでしたので、いわゆる学科の勉強はひどいもので、学科試験のない芸術大学に入ることで、一旦は自分の場所を得たという気分になったこともあります。

しかし、その後社会へ出て、いろいろなチャレンジをしながら、わたしはわかりやすくワーカホリックになりました。働けばそれなりに評価も得ます。それが嬉しくてどんどんエスカレートし身体が持たなくなるまでやり続けることでしか方法がありませんでした。

30代半ばになり、一体自分はどこまで走り続ければいいのかわからなくなり、ついに自分がやっているのは「成長」ではなく「逃亡」なのだということに気が付いたのです。

感謝と怒りは同居できない

このような環境でも、当たり前ですがわたしは両親の間に生まれ、未成年の時代は学校に行かせてくれ、大学の授業料も払ってくれたわけです。当然ですが、わたしは一人で生きてきたわけではありません。親の経済的、物理的な援助がなければ生きてこれません。これを「どんな親でも感謝しなければいけない」という社会の風潮は、わたしを苦しめ、怒りの気持ちを結局はうっ屈させました。

今、かなりの部分を乗り越えて、客観視できるようになったからこそ言える言葉ですが、虐待被害にあった人は「親に感謝したくてもできない」というのが正確な気持ちだと思います。感謝と怒りは同居できる感情でしょうか?絶望につきおとした相手を感謝しなければいけないというのは、究極の精神プレッシャーです。これは、ある種の2次被害ではないかとすら思うのです。

他者とのつながり

今、この歳になって本当に心から思うのは、ここまでやってこれたのには数多くの人たちの援助や力があったからだと思います。これは、恋人、友人、会社の上司、医者、精神科医、心理士などあらゆるひとです。当然、ほとんどの人は虐待の事実を知りませんが、人生のあらゆるところで同じ時間を共にし、共通の会話を話し、素晴らしい体験を一緒にしてきた「赤の他人のひとたち」との間には何があるのでしょうか?

わたしは絆という言葉があまり好きではありません。家族という言葉同様、なにか恐怖のようなものを感じます。しかし、わたしには血縁の関係がない人たちとの間に、信頼関係があり、それは家族や絆というメディアや大衆がいかにも好きそうな言葉では簡単に表せない、思い出すと心があたたかくなるような関係性があるのです。これは、なんでしょうか?家族がないわたしには、絆や家族愛などないと決めつけられるでしょうか。

家族という名の足枷

わたしはいまだに、家族という単位に足枷を見出してしまいます。それは足枷ではなく、責任だったり、人生のモチベーション、基盤ととらえる人もたくさんいるでしょう。しかし、そうじゃない人も少なからずいるのです。わたしです。ひょっとしたら、これからも足枷を持たないように生きていくかもしれません。それでも、人生は十分に素晴らしく、いろいろな美しい景色を見せてくれます。家族を持たないからこそ「赤の他人」の優しさを感じます。家族という単位がないからこそ、人とのつながりを大事にしようとすると私は思っています。

もし、この記事を読んでくれた人で、同じように家族に対して複雑な気持ちをもっている方がいましたら、人生は家族を持つ持たないで決定されるほど安易なものではなく、もっと深く素晴らしいのだということをお伝えしたいです。

では、よい2020年を。




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