5.16.2019

ストレスを感じる力

ここ数年、仕事というものにかなりのストレスを感じるようになりました。仕事そのものというよりは職場にストレスを感じると言ったほうが正確かもしれません。これは年齢的なこともあるかもしれませんが、単純に自分の成長度合いもあるのかもしれません。理由は複合的なものとは思いますが、ひとつ決定的なことは「ストレスを感じていることを素直に認められる」ようになったということです。

ストレスを感じない vs. 麻痺している

自分が夢中になれることをしている時、寝食を忘れて没頭した経験はありませんか?そうゆう時は、長時間動くことができたり過酷な状況でもチャレンジとして捉えて逆に生き生きしたりします。このような時はちょうどバランスのいいストレスがかかっている状態です。しかし、本人が夢中になって生き生きしているわけでもないのに過酷な環境に居続けたりする場合は注意が必要。本当は大きなストレスを抱えているのにそれを心が感じないように麻痺させていることがあります。

鬱の初期症状 何もないのに涙が出る

うつ病の初期症状に何か悲しいことがあったわけでもないのに泣けてくるというものがあります。ラルフもその昔うつ病を患ったときに、一人になるとどうゆうわけか涙が出てしまうという日々がありました。悲しい映画を見た時にはそんなに泣けないのに、なぜか一人でいる泣けてくるという変な状態。これは心がストレスを感じない代わりにに、身体がもう限界ですよという悲鳴をあげている症状なのです。

毒親育ちはストレスを感じないよう麻痺するのが得意

毒親育ち、アダルトチルドレンと呼ばれるひとたちは、幼少期から過酷な環境で過ごしています。分別のつく大人になれば自分が不愉快だと思う環境から自分の足で出て行くことができます。あるいは不愉快だと思う状況に対して改善をしたり、主張することができますよね。しかし幼少期の場合、助けを求めるべき存在が親にも関わらず、その親自身が不愉快な環境を生み出しているので従わざるを得ません。そうすると、子供の心は「ストレスさえ感じなければ自分はここにいられる」という風になり(自覚がなくてもこのような行動を起こします)過酷な状況で本当は身体はとっくにSOSを出しているのに、心ではそれを認めず限界まで我慢してしまうことがよくあるのです。これが、大人になってからも様々な弊害を起こします。


嫌なものを嫌と言えない日本の風土

親からの教育だけではなく、日本の教育の問題もあります。正解を導くための教育をしている日本では、正解のない問題に対して自分の意見を言うという教育が圧倒的に足りません。さらに、年功序列、自分よりも年上の人間の意見が無条件に正しいとされ従う。このような環境では自分の意見を率直に伝えることがまるで悪のような気分になります。すると、本当の自分の気持ちを押し殺すことになるのです。感情を麻痺させると、ストレスも感じなくなり、身体のほうが先に根をあげてしまします。身体が根をあげるのは本当に最後の最後なので、根を上げた時には、時すでに遅しとなるのです。

自分はこの状況が嫌だ、と感じていますか?

嫌だなあ、受け入れられないなあという気分を自分で認めることはできますか?と苦しんでいる人に聞くと、大体このような回答がかえってきます。「ストレスには強いほうだから」「別に嫌と言うわけじゃないんだけど」という自分の中にあるストレスを認めないタイプ。あるいは「私だけじゃないから」「自分はみんなと違って強くないから」とストレスは認めているけど、それは自分が悪いからだと罪悪感を感じるタイプ。急に、自分の中にあるストレスを認めて、正しい対処や行動をとれる人はいません。自分の気持ちを自分で認識し許すには少々訓練が必要です。それにはマインドフルネスという手もありますし、スポーツという手もあります。カウンセリングも人によってはワークします。





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