4.13.2019

嫌いな人を通じて自分を見る

あなたの所属するコミュニティ、たとえば学校や職場、アルバイト、習い事などなんでもいいですが、複数の人間が集まるようなところです。そこに苦手な人はいますか?苦手を通り越して嫌いだなと思う人はいますか?わたしはいます。あまり堂々と言うことでもないと思いますが…事実、苦手な人はいます。嫌だと思う人を避けて生きられればいいですが、職場だったりすると自分の意思だけで避けることはできず、大きなストレスになります。

仮に、そのコミュニティが10人だったとして、嫌いな人はたったひとりなのに、すべてが億劫に感じる。残り9人はとても心地いい関係が結べているのに1人のストレスが全てを台無しにしてしまう。そのように感じることもあるかもしれません。



かならず「1人」はいる苦手な人/嫌いな人

過去、ある職場で苦手な同僚がいました。初めのうちはまだ友好な関係を築こうとしていたものの、努力も虚しく終いには同じ会議に出席するだけでイライラしたり、その相手の声を聞くだけでも不愉快な気分になってしまう、という心理状態にまでなったことがありあました。

やがて、その同僚は転職していきました。苦手な人がいなくなって、密かにホッとした気分でいたのに、それまでなんとも思っていなかった人がだんだん苦手になり、終いには同じようにその人と同じ会議に出席するのがストレスになり、声を聞くのもいやになってきました。

わたしはその時ふと思いました。ひょっとしたら、必ず一人は「嫌いな人」というのを作っておくという謎の何かが働いているのではないか。そうなると、これは相手の問題ではなく自分の問題だと。

嫌いな人リストをつくる

そんなときに、ダイアモンドオンラインで「嫌いな人リストをつくる」というアドバイスが書かれた記事を見つけました。

ダイアモンドオンライン→ 成功する人は嫌いな人の隣に座らない

嫌いな人リストをつくることで、嫌いな人たちに共通する点を見つけ出すというものです。わたしも嫌いな人リストを作ってみて、ある共通点を見つけました。

  • 声の大きい人
  • 言動や態度が政治的な人

わたしの嫌いな人リストに書かれた人にはこの共通点がありました。どちらも兼ね備えているということではなく「声の大きな人」という人が全般的に苦手で、「言動や態度が政治的な人」はたとえ声のボリュームが適切でも苦手と感じる人のようでした。

命令口調の人、おどおどした人、自分勝手な人、なども人に嫌われやすいですが、私の場合このような人に特に嫌いになることはないようでした。

嫌いな人には恐怖心も感じる場合がある

わたしは声の大きな人が苦手です。イライラすると同時に、恐怖心のようなものも感じてしまいます。声の大きな人はたいてい自信満々に映ります。自信があるというのは、通常いいことと捉えられますが、私の場合はしばしば相手のペースに強引に持っていかれるような気分になるということがわかってきました。

これにトラウマが関係しているかどうかはわかりませんが「相手のペースに持っていかれる」ということに不快感どころか恐怖心を感じるのは、多少なりともトラウマ反応がある可能性が高いでしょう。

自分と似た相手を嫌いになる場合もある

嫌いな相手は、自分と似たところがあるからというのもよくある話です。これは、相手の中に自分の姿を見て嫌悪感を感じるということです。相手は自分の鏡とはよく言われますが、自分の中に許せない部分、認めたくない部分があり目を逸らしている場合、自分の許せない部分が他者の中にあることを見つけてしまうと強い嫌悪感になります。

嫌いな相手を通じて、自分を知る

嫌いな相手は、あえて仲良くする必要はありません。自分を不愉快にする人、もの、状況から距離をおくということは大事なスキルです。しかし、嫌いな人というのは、自分のことを知る大切な存在です。嫌いな人の存在を通じて自分の本当のすがた、想いを発見することができます。

自分は相手のことが苦手なんだ、嫌いなんだと一旦はその感情を自分で認めてしまうことです。他の誰もは「あの人はいい人だ」と言っているのに自分はそうじゃないなんておかしいのではないか、好きにならないといけないのではないか、など葛藤しているかもしてませんが、自分の中に芽生えた「不愉快な気分」「嫌悪感」「イライラ」などをしっかりと感じて否定しないことです。すると、あんなに嫌い嫌いと思っていたのに、少し距離ができます。距離ができれば、不愉快な気分は徐々に浄化されます。一瞬で浄化されることもあります。残るのは、自分の純粋な姿です。













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