2.05.2019

「嫌い」という感情の受け入れと解放

昔、大好きで付き合っていた人がいたのですが、その人との付き合いは今思えば毒親育ちならではの愛着障害の症状が出まくっていた関係で、一緒にいて幸せだという気持ちがある一方、大変疲れる付き合いでした。

ある日、些細なことでお互いの意見が衝突し(よくある依存関係です)生産的ではない言い合いをしている時に、ふとわたしの中に「大嫌い」という言葉がすっと浮上してきてドキッとしたことがあります。好きで一緒にいるのに、どうして今私はこの人のことを「大嫌い」とはっきりと自覚したのだろうか。その気持ちは、次第に隠しきれなくなって、自分の中に、解放されるべき何かが固まっていることに気づいたのです。



このサイトでも頻繁に「自分が今どんな感情か把握する」ということの大切さを伝えています。「今、すごくムカついている」「今すごく、怒っている」というようなネガティブな感情も避けずに感じるということです。

ネガティブな感情も避けずにしっかりと受け入れる

嫌い、うらやましい、腹がたつ、このような感情は「こんなこと思ってはいけない」と、多くの人が感じないようにしてしまっていることの多い感情です。こんな風に思うのは性格が悪いのではないか、などと思うこともあります。すると感情を隠して偽りのポジティブさでカバーするのですが、これは隠しただけなので感情自体が解放されたわけではないのです。ずっとそこにあり、蓄積され、いつ何時でも外に飛び出してくるのです。

感情はしっかり感じれば去っていく

ネガティブ、ポジティブと言っていますが、感情どんなものでもただ生まれてそのまま去っていきます。止まり続けることはありません。しっかりと「今の気持ち」をホールドすることで、実は早く感情は去っていくのです。

これはいつも不思議だなあと思うのですが、抵抗すればするだけ嫌な感情は心に止まり、抵抗するのやめて「はい、わたしはあれが嫌いなんです」と受け入れると、しばらくして去っていく。そして、なぜだか清々しくすら感じます。

ネガティブな感情から気づくことも多い

ある時から、わたしは職場が未だ嘗てないほど大嫌いになりました。それまでは、仕事をするのは人並み以上に好きだったのに、ある時から「職場が嫌いだ」とはっきり自覚するようになりました。嫌いと思ったところで、毎日出社しなくてはいけないし、全部が嫌いなわけではないし・・・と「嫌い」の感情に正面から向き合わず「好きじゃないけど、でも」という歯切れの悪い感じで、自分の気持ちをしっかりホールドすることに恐れていました。

だんだんと自分の気持ちも少しずつ向き合っていき、その過程で「職場が嫌い」「ああゆう人は嫌い」と状況や社会的モラルや常識など置いといて、あくまでも自分が今感じている素直な感情というものをクリアーに感じていったのです。

感情に抵抗しているうちは「○○さんは・・・」とか「この会社は・・・」とか、次から次へと愚痴がとめどもなく出ていましたし、職場でイラつくことも多かったです。感情を抵抗せずに素直に認めたら「嫌い」であることには変わりがないのですが、イラつくなと感じることが少なくなったのです。出来事と自分に少しの距離ができるというか、起こる出来事は変わらないのですが、そこに自分の理想や、嫉妬などが乗らないようになったという感じです。一言で言うと「客観視」ということなのですが、

すると、会社が嫌いなのではなく、自分は今とは違う仕事をしたいと思っているんだ、ということに気がつきました。相手が嫌い、環境が嫌い、会社が嫌いと全面的に認めて感情に抵抗することをやめたら「ああ、自分は○○がしたかったんだ」という気持ちに気がつくことができ「嫌い」という感情が起こっても、不安になることが少なくなりました。

「嫌い」という感情をちゃんと認識したから「自分はあれをしよう」「これをやめよう」と逆にポジティブな行動にフォーカスが当たるようになりました。

毒親育ちは、感情を偽る癖が付いている

毒親育は、感情を感じることが苦手です。トラウマ反応も絡まってくると、怒りや悲しみ、不安が体の奥に蓄積してしまい、余計に感情を解放することが下手になって行ってしまいます。

「どうせあんたは私のことが嫌いなんでしょう」という言葉を言われ続けてきました。「嫌いじゃないよ」というと「うそ、嫌いなくせに」と言われ、「うん、嫌い」というと「あれもこれもしてやったのに嫌うなんて」とどっちに応えても追い詰められる環境にいたので「嫌い」という言葉にかなり敏感で、ストレスを感じる言葉でした。
(ちなみに、こうゆうときは相手の質問に応えず、話をずらすのが正解です。この辺の応答の仕方はまたの機会で説明します)

嫌いと思っていたら「嫌いでしょ」と言われた、という経験ならいいのですが、決して「嫌い」じゃなかったのに「嫌いでしょ」と言われ続けるのは悲しく、苦しいものだったので、だんだんと感情を偽るようになりました。このように言われ続けると、相手が親でも心の底から鬱陶しくなり、やがて「嫌い」という感情が出てきます。しかし、親を嫌いと自覚すると、もうそれ以上行き先はないというか、さすがに「嫌い」と本気で思ったら、その先どうやって生きて行ったらいいかわかんないという恐怖もあったので、好きとまではいかなくても自分の感情を感じないようにしていたのです。

こうゆう些細な偽りを何年も続けると、あらゆるシーンで感情を隠したり、偽ったりすることになれてしまいます。そして大人になって、職場で過酷な環境に置かれて、本当なその場から逃げたくても「辛い、苦しい」という気持ちを偽ってしまい、不健康な環境に限界までい続けることになってしまいます。

「嫌い」という感情を感じてみよう

感情を感じるプラクティスとして「嫌い」な気持ちを感じてみましょう。「あの人が嫌いだ」「こうゆう状況が嫌いだ」と認めてしまいましょう。嫌ってもいいのです。自分が受け入れられないものや人がいるのは当然です。

もし、上手に感情を感じることができなければ、カウンセラーにサポートしてもらうのもいい手段です。

嫌いは8種類

最後におまけとして、中島義道著書の「ひとを嫌うということ」では人が人を嫌う要因には8つの要因があるといいます。自分の嫌いな感情が、どれに該当するのかな?と調べながら、自分の中にある「嫌い」を大事に向き合うのも何か発見があるかもしれません。


①相手が期待に応えてくれない

②相手が自分に危害を加える恐れがある

③相手に対する嫉妬

④相手に対する軽蔑

⑤相手から軽蔑されているという感じがする

⑥相手が自分を嫌っているという感じがする

⑦相手に対する絶対的無関心

⑧生理的、観念的な拒絶反応


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